ケインズ全集第2巻 平和の経済的帰結

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<div class=”kattene__description”> ケインズ (著), 早坂 忠 (翻訳) </div>
<div class=”kattene__description”>出版社 : 東洋経済新報社 (1977/1/1)、出典:出版社HP</div>
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目次

 

「ケインズ全集」日本語版の序文:

 

凡例

 

全巻の序文

 

編集者ノート

 

序文

 

より長い序文の草稿

 

フランス語版序文の英語原文

 

ルーマニア語版への序文

 

ルーマニア語版への序論

 

第一章 序論

 

第二章 戦前のヨーロッパ

 

第三章 会議

 

第四章 条約

 

第五章 賠償

 

第六章 条約後のヨーロッパ

 

第七章 救済策

 

訳者あとがき

 

索引(巻末)

 

編集者ノート

 

本巻のテキストは、一九二四年の再刷版を底本にしている。この再刷版でも、その後の他の再刷版でも、何らの変更もおこなわれず、判明するかぎり、テキストは、一九一九年一二月の初版のそれとまったく同一である。けれども、ケインズは、本書の数多い翻訳版の幾つかに、異なった序文を執筆した。われわれは、その特殊な興味上、そのうちの二つを本巻に掲げる。

 

またケインズの諸文書のなかには、後に標準的序文中にそのままに生かされた訂正から判断して、ほぼ間違いなく標準的序文より前に執筆された、より長い序文の草稿が存在する。われわれは、これをxxiiiページに掲げる。翻訳版への独自の序文のなかでも、際立って最も重要なのは、フランス語版への序文である。この序文の、少なからず修正された、ケインズ自身の手に成る原草稿が、いぜん残っている。これは、フランス国民の民族的知性に訴え

かけ、フランスの長期的利害を分析し、より差し迫ったフランスとベルギーの賠償請求権がイギリスのそれより優先権をもつべきことを強調している点で、非常に興味深いものである。この序文は、xxvページに掲げられている。

 

ルーマニア語版に独自の序文がつけられている。現存する書簡から判断すると、この序文は、翻訳の仲介の労をとったM・クルペンスキ(Krupenski)の次の抗議、すなわち、二、三の、折に触れての表現をみると、ケインズはルーマニアの戦後の諸要求に反対しているように思われる、という抗議に由来するもののようである。ケインズの自筆の草稿中には、実際に活字になった序文だけでなく、ルーマニア語版には結局入れられなかった、興味ある短い序文も残されており、本巻にはそれも掲げることにする。

 

本書の他の翻訳、すなわち、デンマーク語版、スウェーデン語版、オランダ語版、フランダース版、スペイン語版、ロシア語版、日本語版、および中国語版は、すべて標準の英語版の序文の翻訳を掲げている。ドィッ語版には序文はなかった。C・ブリンクマン(Brinkmann)と共にドイツ語への翻訳に当たったM・J・ボン・(Bonn)の序言(foreword)が、部分的に、その代りの役割を果たしていた。他の翻訳版の幾つかにも、序言がつけられていた。オランダ語版にたいするG・フィッセリング(Vissering)の序言、イタリア語版にたいするV・ジュフリダ(Giuffrida)の序言、およびフランダース語版にたいするH・D・と署名している執筆者の序言、がそれである。

 

この最後の人物が本当は誰なのかを多少とも確実に断定することは、現存する書簡によっても、また内的証拠によっても、不可能だった。ケインズの蔵書中のフランダース語版のコピーは、J・ドゥ・デッカー(de Decker)博士個人の署名でケインズに送られており、デッカー博士がフランダース語版の刊行に仲介者として主要な役割を果たしたことは、現存の書簡から明らかである。

 

本巻の編者たちの依頼によって同地でおこなわれた調査の結果得られている示唆は(それは示唆以上のものたりえないのだが)、フランダース語版序言の筆者は、当時フランダース問題について活発に筆をとり、また平和のより広範な諸問題についても強い関心を抱いていた、デルク・ホェール(DerkHoel)だったのではなかろうか、ということである。

 

[1]第一次大戦時の最激戦地の一つであるフランダース地方―ベルギー西部と、それに隣接するフランス北部、オランダ南西部にわたる――の言葉で、オランダ語に近い。

 

イギリス版とは別個に、ハーコート・ブレイス社(Messrs.Harcourt,Brace&Co.)によって刊行されたアメリカ版は、そのすべての刊本に、標準的序文を掲げていた。しかし、われわれが本巻に掲げる、より長い序文は、ケインズの文書中にそのことを確認するものは何もないけれども、ことによると、元来はこのアメリカ版にたいする独自の序文として構想され、後になってケインズがその考えを変えたものなのかもしれない。

 

序文

 

本書の著者は、戦時中、一時、イギリス大蔵省に所属し、一九一九年六月七日まで、パリ平和会議におけるイギス大蔵省の正式代表であった。また、最高経済会議にも、大蔵大臣代理として出席していた。平和条約の諸条項の案に実質的変更を加える希望をもはや抱きえないことが明らかとなるにおよんで、著者は、これらの地位を辞任した。条約にたいする、というよりむしろ、ヨーロッパの経済問題に関する平和会議の全政策にたいする、著者の反論の論拠は、以下の諸章で明らかにする。これらの論拠は、すべて、公的性格のものであり、全世界に知らされている諸事実を基にしているのである。

 

一九一九年一二月

 

ケンブリッジ、キングズ・カレッジ

 

J・M・ケインズ

 

(1)これが、ここに印刷した形でか、あるいは翻訳で、イギリス版、アメリカ版、ベルギー語版、デンマーク語版、オラン語版、フランダース語版、イタリア語版、スペイン語版、ロシア語版、日本語版、中国語版、に掲げられている、標準的序文である〔編集者]。

 

より長い序文の草稿

 

本書の著者は、戦時中、一時、イギリス大蔵省に所属し、パリ平和会議におけるイギリス大蔵省の正式代表であった。また、最高経済会議にも、一九一九年六月七日まで大蔵大臣代理として出席していた。平和条約の諸条項の草案に実質的変更を加える希望をもはや抱きえないことが明らかとなるにおよんで、著者は、これらの地位を辞任した。

 

条約にたいする、というよりむしろ、ヨーロッパの経済問題に関する平和会議の全政策にたいする、著者の反論の論拠は、以下の諸章で明らかにする。これらの論拠は、すべて、公的性格のものであり、全世界に知らされている諸事実を基にしているのである。したがって著者は、大蔵省の前上司たちから寄せられた信頼を、以下の諸ページで著者が乱用はしていないものと信ずるし、またそのことを強く希望している。それらの上司たちに、著者は、いぜん謝意と敬意を抱き、愛着の念を抱いているのである。

 

主にウイルソン大統領の性格を扱っている第三章が執筆されて以後、情勢が大きく変化した。大統領が心身を病み、また運命の変遷に遭ったのであり、このことにたいしては、その実現のために大統領が倒れるにいたった考えを抱いている人びとからも、少なからぬ同情が寄せられなければならない。したがって、大統領の失敗の理由を記すに当たっては、いまや次のことを想起することが以前にも増して必要である。すなわち、大統領は少なくとも国際問崩において公正無私な行動をとろうと試みたのである。たとえ大統領が不公正な条約を受け入れたとしても、それは国際連盟をかち取るためだったのであり、またもし彼が、気質や理解力の欠陥のために、連盟をも失ってしまったとしても、卑しい利己的な理由は何の役割も演じなかったのである。

 

一九一九年一一月

 

ケンブリッジ、キングズ・カレッジ

 

J・M・ケインズ

 

(1)後に短縮されて、標準的序文となった〔編集者]。

 

[1]ウイルソンの国際連盟構想にたいしては、アメリカ内部で共和党側からの反対があり、国際連盟規約を第一編として含むヴェルサイユ条約調印(一九一九年六月二八日)後、その声は次第に高くなった。ウイルソンは直接国民に訴えることによって条約の批准をかち取ろうとして遊説中に病に倒れ、また中間選挙での民主党の敗北と、留保つき批准という共和党案にウイルソンが妥協しなかったため、結局アメリカではヴェルサイユ条約(したがってまた国際連盟規約)は批准されなかった。

 

フランス語版序文の英語原文

 

本書が主に念頭においていたのは、イギリス(およびアメリカ)の読者だった。著者の判断上、それらの読者にたいして強調する必要があった諸点に、力点がおかれている。したがって、フランス語版をつくるに際しては、ヴェルサイユ条約から生ずる情況のうちでも、フランスにとって特に重要な諸側面の一、二を、きわめて率直かつ簡潔に指摘しておくことが有益かと思われる。

 

以下の諸章は、何よりも、パリ会議におけるわれわれの代表者たちが、われわれの利害に相反する二つの重大な誤りを犯したのだということを明らかにすることを目的としている。不可能事を要求することによって、彼らは実体を捨てて影を取ったのであり、したがって結局のところ、すべてを失ってしまうのであろう。政治上の目的と架空の安全保障の達成とに過度に注意を集中することによって、彼らはヨーロッパの経済的一体性を見過ごしてしまった――なぜ架空かといえば、およそ安全保障というものは、広範な領域の占領などのうちに見いだされるべきものではないからであり、また、ある特定時のみに関わる政治上の立案は、大部分が、一○年後の問題にたいしては見当違いになってしまうからである。

 

これらの誤りがフランスの運命とどのような関係をもつかについて以下のページで述べていることを、もう一度、しかももっと強い口調で述べることを、お許しいただきたい。

 

戦争が輝かしい勝利に終わったことによって、フランスの政治的・道徳的立場は、もはや疑問の余地ないものとなった。しかし、金融面、経済面からみたフランスの前途の見通しは、非常に暗かった。したがって、この後者の点こそが、賢明な政治家たちなら、平和条約で、その安全性を確保しようとすべきものだったのである。

 

確かにフランスの利害は、他の何物にもまして、次のことを必要としていた。すなわち、ドイツが支払可能であることが明らかとなる額のうちから、適度の優先的受領権をフランスが獲得すること、連合国にたいするフランスの過重の債務が調整されるべきこと、そして、フランス自身が敵国にたいしてある程度の寛大さを示したうえでは、それと引換えに自国への寛大さを期待することができ、苦難の少なかった他の諸国が世界の緊張緩和の促進のために拠出に同意するようになるかもしれぬ、ヨーロッパ全体のための再建用の信用を、ある程度まで、その必要に応じて、フランスが受けることができるようになること、がそれである。

 

この全てのことを、私は、以下の諸章で勧告しておいた。私は、次のことが、正しくもあれば、また時宜にも適っていると考えている。すなわち、イギリスは、フランスとベルギーのいっそう差し迫った要求が満足させられるまでは、ドイツからの賠償の受取りを要求すべきではないこと、イギリスと合衆国は、連合国が両国に負っている負債額、すなわち両国が一瞬たりとも商業的投資というような観点から見るべきでない負債額をすべて帳消しにすべきであること、および、われわれは一般的借款によってヨーロッパの運転資本の一部の再設を図るべきこと、がそれである。われわれは高慢の鼻をへし折られた敵にたいしても信義を守るべきであり、ヨーロッパ全体の再興と健全性を追求すべきであるという勧告をも私が付け加えているからといって、私が同情の分かち方を間違っているなどと咎めないでいただきたい。

 

ところが、以上のようなフランスの基本的利害が、クレマンソー氏の取りまき連によって、すべて裏切られてしまったのである。彼らは、恥知らずにも誇大に言い立てることによって、被害地が当然もつべき道徳的請求権の品位を損ってしまった。彼らはフランスの優先的請求権を放棄して、次のような最決めの方を選んだ。その取決めによれば、総請求額は(彼らが公けの発言ではどう述べたにせよ、内心では非常によく知っているように)とうていドイツの支払いえない額まで脹れあがってしまい、〔軍人]恩給と〔留守家族へのプ別居手当てのための請求金も含むようになってしまうのだが、このような請求金は、われわれの約束にも背き、敵国に耐えられぬ負担を課すものであるし、またそれは、ドイツが支払うであろう総計額をなんら増加させることなく、ただ単にドイツが提供する各割賦金からフランスの受け取る割合を低下させる結果しかもたないのである。

 

彼らは、無分別な貪欲さを示して「他国の]同情を失ってしまったために、何の借款も確保しなければ、また連合国相互間の債務についても何の清算の取決めをも確保しなかった。平和会議のフランス代表者たちは、強国の圧力(force majeure)のもとに獲得された、それを記入した紙片ほどの価値もないことを双方ともに知っている履行不可能な約束と引換えに、自国の実質的利害を犠牲にしてしまったのである。

 

そのようなわけで、私の主張している政策は、ヴェルサイユの空虚な幻想よりも、はるかにフランスの実質的利害に適ったものなのである。しかし、私がその政策への支持を求めるのは、そのことにも増して、それがヨーロッパの一体性と、われわれすべての真の安全保障に役立つからにほかならない。もし自国の財政が破滅的混乱状態におちいっているとすれば、もし自国がその友邦諸国から精神的に孤立しているとすれば、もしライン川以東は二つの大陸にわたって流血と悲惨と狂気とが支配しているとすれば、たとえ自国の歩哨がライン河畔に立っているからといって、いったいフランスは安全なのであろうか。

 

この惨憺たる条約の責任を私がフランスに押しつけているのだ、とは思わないでいただきたい。その責任は、事実、条約当事国すべてが分有しているのである。当然指摘されて然るべきことであるが、イギリスも自国の利己的な仮想の利益を確保することに遅疑しなかったし、賠償に関する章の形態にたいする主要な責めを負わなければならないのは、イギリスなのである。イギリスは植民地と船舶を獲得し、また正当に権利をもつ以上の賠償の分け前を獲得した。

 

しかし、敢えて言うが、ある一点でフランスは他国とは異なっており、そのために孤立しつつあるのである。フランスは、政治家たちが、自国民にたいして、あるいはたぶん自分たち自身に対してすら、いぜん真実を告げようとし始めていない唯一の国である。本書がイギリスで刊行されてから既に三ヵ月ほどになるが、本書は多くの批判を受けたにもせよ、ドイツの支払能力に関する私の議論にたいしては、まだ誰も正面からそれを論駁しようとはしていない。

 

本書執筆後の事態の進展から、むしろ私は、私の提示している数字が低すぎるなどということはまったくなく、おそらく高すぎるものと思うようになっている。少なくとも私は次のように断言してよい。すなわち、この特定問題に関する私の全般的結論は、フランスを除けば、この問題を判断する能力を備えたいかなる方面においても、いまや真面目な反論を受けたりはしていないのだ、と。私の全般的結論は、現代の有識者たちの意見と一致しているのである。

 

したがって、フランス以外、いかなる重要な権威筋も、平和条約を完全に実施することが可能であるとか、そうすることが望ましいなどとは考えていないのであり、現在意見が分かれているのは、条約を正式に改正したいと思っている人びとと、(条約を改正するための適当な機構がないために)実施方法を媒介とする日々の改正に希望をかける人びと、とのあいだなのである。

 

ただフランスにおいてのみ、「ヴェルサイユ条約の完全実施」(l’exécution int-égrale du traité de Versailles)という、弱々しい空虚な言葉が発されている。条約は実施されようともしていなければ、また実施することもできないのだ、ということが明らかになればなるほど、フランスの政治家たちは、表面上、ますます眼を塞ぎ、耳を閉じて、事実を否認することによって事実を変えようとするのである。

 

したがって私は、政治家たちを飛び越えて、フランスの知性に、フランス人の精神の中の、あの、事物を在るがままに見、そこから帰結を引き出すことを喜びとする要素に、そしてまた人間性と良識の子たる、あの理想心に訴えたい。イギリスにおけると同様、フランスにおいても、一国のよりよき精神は、傍らに空しく佇み、条約を読みもせず、またそれを理解してもいない。今こそそれらの人びとが力を結集し、さもなければ目前の間に迫っている不幸の回避に努めるべきときなのである。

 

一九二〇年三月

 

パリ

 

J・M・ケインズ

 

(1)ケインズ文書中の、ケインズ自筆の英語原文より[編集者]。

 

ルーマニア語版への序文

 

本書は、三つの主要な問題を取り扱っている。われわれが敗れた敵国にたいして信義を守ったか否かという問題は、今後の長期にわたる諸国間の精神的紐帯には影響を及ぼしているけれども、おそらく、将来よりは、過去と関係が深い。私が縷々論じている賠償、その金額、その徴集方法の問題は、おそらくルーマニアにとってよりも、西ョーロッパの列強にとって、はるかに大きな直接的関係をもっている。

 

しかし、本書全体を貫いている私の第三の問題、すなわち、ヨーロッパの一体性と、社会的・経済的平和の必要性の問題は、われわれの中でも、諸条件がより安定し将来の見通しがより確実な国々に属している他の人びとよりも、ルーマニア人にとって、より大きな関係をすらもっているにちがいない。

 

新たな国境線に囲まれたルーマニアは、広大な、人口の多い、肥沃な国である。自然は、その上にひとが幸福を築きうるいかなる要素も除いてはいない。しかし、それらすべての要素も、隣国が平和で繁栄していないかぎり、そしてルーマニアがそれら隣国の中で平和に誠実に生きぬかぎり、史上の他の時代にそうであったように、無益であろう。ルーマニアには、大きな機会が開かれている。

 

しかし、ルーマニアを壊して、誤った、つまらぬ径に踏み込ませたがっている人びとがいる。法外な帝国とか軍国主義的支配力などという考えによって、ルーマニアを文明と幸福の追求から逸脱させてはならない。同じくルーマニアは、金使いの荒い――即座に使用可能な資金額以上に金を使う――政府の勝手気儘な行為をも避けなければならない。われわれはそのような空虚な楽しみにわれわれを耽らせておけるだけの十分な安全性の余裕をもっているのだ、と軽薄な人びとが主張してもよかったような時代がかつてあったことは、確かである。

 

しかし、今はもう、そのような時代ではない。ヨーロッパの全体が、そして中央ヨーロッパと東ヨーロッパは特に、非常な危険と非常な不幸の瀬戸際に立っているのである。われわれは、われわれの一人ひとり、それぞれが、どちらの側に自分の影響力をかけようとしているのかを、はっきりと意識していなければならない。すべての国の世論の指導者たちが、思慮深さと誠実さを身につけてゆくようになりえないかぎり、明るい見通しは、いささかも存在しないのである。

 

本書のルーマニアの読者諸氏が、たとえ本書の何らかの章句が自国にたいして何らかの意味で公正さを欠くものと感じられても、私を許されんことを。たとえそのような点があるとしても、無知から私は誤りを犯したのであって、他の何の理由からでもないのである。

 

一九二〇年一一月一二日

 

ケンブリッジ、キングズ・カレッジ

 

J・M・ケインズ|

 

ルーマニア語版への序論

 

パリ会議の諸条約は、何の確固とした基礎も持っていなかったために、政治的にも経済的にも崩壊しつつある。政治的には、それらの条約は次のようなことを想定していた。すなわち、戦勝国のグループは、その統合された権威をヨーロッパのどの部分でも主張しうるだけの、圧倒的力をもつ、緊密な一体として無限の期間にわたって留まり続けることができるのだ、と――事物の本性に相反した想定である。経済的には、戦勝国は、激情と貪欲の前に屈服して、ヨーロッパの経済構造の現実の事実や、戦勝国自身の個別的利害にすら、盲目になっていた。

 

本書は、条約の経済的大失態によってつくりだされた難局を解決するための諸提案を提示している。これら諸提案にたいするルーマニアの直接的利害関係は、大きなものではない。しかし、何人をも貧窮化させつつある状態の根本的解決にたいして同国のもつ間接的利害関係は、莫大である。したがって、私のルーマニアの友人たちが、本書をルーマニアの一般の方々に紹介する価値あるものと考えられたことを、私は心から喜んでいる。

 

(1)この文は、最終的にはルーマニア語版には収められなかった[編集者]。

 

訳者あとがき

 

一 本書は、J.M.Keynes,The Economic Consequences of the Peace,1971(1st ed.,1919)(The Collected Writings of John Maynard Keynes,Vol.II)の全訳である。

 

一 訳文推敲の過程で、次の諸訳書などを参照した。

 

救仁郷繁訳『講和の経済的帰結』ぺりかん社、一九七二年。

 

Les consequences économiques de la paix,traduit par Paul Franck, Nouvelle Revue Française, 1920. Die wirtschaftlichen Folgen des Friedensvertrages,übersetzt von M. J. Bonn und C. Brinkmann, Duncker&Humblot, 1920.

 

一 第一次大戦後のパリ平和会議、ことにその賠償問題の取扱いを痛烈に弾劾し、その面で連合国側の世論の転換に大きな役割を演じ、イギリスのケインズを一躍、世界のケインズにした本書『平和の経済的帰結』については、多くを語らなくてもよいであろう。また、ここはそのための場所でもない。一九一九年一二月に世にでた本書は、内外に広く迎えられて増刷に増刷を重ね、本書の後続編である『条約の改正』が公刊された二二年初頭までに、一一ヵ国語に訳され、英語版、翻訳版を合して、一四万部が発行された。当時としてはまことに驚異的な売行だった。

 

本書はまた、「ケインズ革命」といわれるほどまでに経済学や経済思想に深甚な影響を与えた『一般理論』に結実する経済問題に対するケインズのヴィジョンが、すでにはっきりと現われている書、としても著名である。本書中のいくつか。のサワリ文句を、引用文で目にした読者も少なくないにちがいない。あるいは本書は、第三章における、パリ平和会議の四巨頭、ことにクレマンソーとウィルソンについての、辛辣ながら洞察に富む、魅力的な人物描写によって、その一端が知られているかもしれない(名文家、名人物評論家としてのケインズの名声が確立したのも、本書によってである)。

 

しかし、それほど著名であるにもかかわらず、本書の全体に目を通したひとは、これまでよくよく限られていたのではなかろうか。わが国の場合、これには、前掲の救仁郷氏の訳書がでるまで、なぜか邦訳書が公刊されなかったという事情が、ある程度まで関係しているにちがいない。けれども、第二次大戦の戦中・戦後にヒトラー問題との関連で再び本書の影響が論議されたり、主にシュンペーターが指摘して以来、『一般理論』のヴィジョンがすでに現われている書として頻繁に言及されるようになったにもかかわらず、本書は、単に邦訳のなかった日本だけでなく、イギリスでもあまり読まれなくなっていたようである。

 

有名な『ケインズ伝』(一九五一年、東洋経済新報社から塩野谷九十九氏の邦訳あり)の著者、ハロッドは、同書の全一五章のうち第七章の全体を『平和の経済的帰結』にあて、その前後の章でも度々本書に触れているが、そのなかで慨默気味に「この書物は今日ではほとんど読まれていない」と記している。イギリスでもあまり読まれなくなった理由としては、本書が、今度の全集版ができるまでは、原書もかなり入手しにくくなっていたという事情もあるであろうが、おそらくその最大の理由は、ハロッドも指摘しているように、「人びとが、この書のいっていることは知っているし、そこから学ぶことは何もないのだ、と思っている」からなのであろう。

 

しかし、どの名著についてもいえることだが、紹介で概要だけを知るのと、直接全容に接することとのあいだには、常に天と地にも等しい差異がある。読者は、何よりもまず本書全体の構成の妙に嘆賞するかもしれない。既述のように本書には『一般理論』のヴィジョンがすでにはっきりと現われているといわれているが、はたしてそれが実際にどの程度までそうなのかを、じかに確かめてみるのもいいだろう。あるいはまた、ひとは、本書で占めている賠償問題の比重や、その取扱いの詳細さに、改めて驚くかもしれない。ともかく本書は、間もなく還暦を迎えようとしている今日でも、いったん読みだしたら最後まで巻を置かせぬだけの緊迫感と迫真性を―それがどれだけ訳出しえたかはさておき――具えている。

 

ただし、本書がいかに今日的迫真性を具えているとはいえ、また本書のなかでウィルソン大統領の一四ヵ条の宣言以来、休戦協定、平和会議の開催にいたるまでの過程がある程度まで語られているにもせよ、すでに国民の過半数に達した第二次大戦終結後生まれの若い世代にとっては、あるいは第一次大戦やパリ平和会議も、より年輩の世代にとってのナポレオン戦争やウィーン会議同様の、遠い歴史の唯のなかの物語でしかないのかもしれない。

 

その点では、戦争後ようやく六年近く経って(部分的)平和条約が締結された第二次大戦後の事態からはかなり想像しにくいことなのだが、第一次大戦時には、休戦協定の成立(一九一八年一一月五日)から平和会議の開催(一九一九年一月一八日)までが二ヵ月半、会議開催後、平和条約の調印(一九年六月二八日)までが五カ月と旬日、という、超スピ―ドで事態が進展したのだ、ということが、本書の藩読に当たっては留意されなければならないであろう。

 

また、ケインズが本書を公刊したのは、平和会議イギリス大蔵省代表の地位を(一九年六月七日に)辞してから僅か六ヵ月後という、これまた驚くべく短時日のうちであることも、常に念頭におかれて然るべきであろう。ケインズが本書に記したことのうちのかなりの部分は、戦時の大蔵省勤務や平和会議出席中に彼の書いた覚え書や書簡(それらの文書は、やがて訳出される本全集の原典第一六巻『諸活動、一九一四一一九一九年、大蔵省とヴェルサイユ』に収録されている)からとられているし、またケインズはケンブリッジ大学復帰後、「平和条約の経済的側面」と題する講義を行なったりしているが、それにしても、その執筆の速さと、にもかかわらず、古典的論駁書としての本書の完成度の高さは、驚嘆の対象以上のものであり、いかに当時のケインズが本書の公刊に白熱的情熱を賭していたか、また時に三六歳だったケインズが、いかにその段階ですでに事態の把握力とその表現力を完全に身につけていたか、が窺われよう。

 

もし本書の背景をよりよく知る必要があるとしたら、さしあたり、次のような文献が参考になるであろう。戦時中の大蔵省勤務や平和会議におけるケインズについては、前掲ハロッド著『ケインズ伝』の該当個所(いっそう簡単には、早坂忠『ケインズ』中公新書の第一章)を。本書は、「フランス語版序文」の冒頭でケインズ自身述べているように、基本的にはイギリスの読者を念頭において書かれたものであるが、第一次大戦時や戦争直後のイギリスの状態については、A・J・P・テイラー著、都築忠七訳『イギリス現代史』I(みすず書房、一九六八年)の第一―第四章、を。

 

また、第一次大戦終結後の状況や、パリ平和会議、ヴェルサイユ条約等の全般については、岩波講座『世界歴史』よ「現代2」冒頭の斉藤孝氏の論文「第一次世界大戦の終結」と同論文に掲げられている諸文献。第二次大戦の戦中・戦後にヒトラー拾頭との関連で一時活発化した『平和の経済的帰結』批判の代表的なものとしては、E. Mantoux,The Carthaginian Peace, or The Economic Consequences of Mr. Keynes, Oxford U. P., 1944, があげられよう。

 

一 ここで本書中に度々言及されているヴェルサイユ条約(対独平和条約)の概略を記しておこう。同条約は、

第一編「国際連盟規約」(第一—第二六条)、第二編「ドイッ国の境界」(第二七―第三〇条)、第三編「ヨーロッパに関する政治的諸条項」(第三二―第一一七条)、第四編「ドイツ国外におけるドイッ国の権利と利権」(第一一八―第一五八条)、第五編「陸軍・海軍および空軍条項」(第一五九—第二十三条)、第六編「俘虜および墳墓」(第二一四―第二二六条)、第七編「制裁」(第二二七―第二三〇条)、第八編「賠償」(第二三一—第二四七条)、第九編「財政金融条項」(第二四八―第二六三条)、第一○編「経済条項」(第二六四―第三一二条)、第一一編「航空」(第三二三—第三二〇条)、第一二編「港湾、水路および鉄道」(第三二一—第三八六条)、第一三編「労働」(第三八七—第四二七条)、第一四編「保障」(第四二八―第四三三条)、第一五編「雑則」(第四三四―第四四〇条)の、全一五編四四○条から成っている。

 

編の下に部がき、部の下に章がくる構成になっているが、編が部だけに分かれていて、章がないもの、編の下に部も章もなく、直ちに条になるものもあって、編の中の構成は、編によってかなり区々である。また、その場所によって、編や部に、一ないし複数個の付属文書がつき、また章に表が付されている個所もある(ただし、ケインズが本書で「賠償に関する章」等の形でしばしば用いている章は、個所ぐらいの意味であって、条約中の章を指しているのではない)。

 

本条約の日本での公式翻訳文書としては、外務省条約局編の『条約彙纂』第三巻第一部(大正一四年六月)所収のものがある(同書には、平和条約の国際上の正文である仏文・英文や、平和条約関係の他の諸条約も収められている)が、句読点なしの片仮名書き文語文であって、現在それが引用されることはまずないので、本訳でも、参考にはしたが、それには拠らなかった。現在容易に入手可能なヴェルサイユ条約の全文は、(現在の)邦文でも英文でも存在しがないようであり、同条約についてより詳細に知りたい場合には、前掲書によるか、あるいは、抜萃の英文であるが、斉藤孝編『ヨーロッパ外交史教材|英文資料選―』(東京大学出版会、一九七一年)を参照していただきたい。

 

一 以下、翻訳の技術上の細目点について若干のことを述べておきたい。

 

(1)本書の表題は、従来がいして「平和の経済的帰結」と訳されていたが、救仁郷氏は前掲の訳書で、「ケインズが本書で論じたthe Peaceは、平和問題一般ではなくて、休戦条件を無視して一九一九年六月の条約調印によって敗戦国ドイッに押しつけられた講和であるから、この訳書は“講和”をとった。本書のドイッ訳は“講和条約の経済的帰結”と題しており、この方が一段と内容に即した感じがする」(二九四ページ)と述べておられる。

 

確かに、本書の表題中の「平和」が平和問題一般を意味するものでないこと、独訳がこの「訳者あとがき」の冒頭にも掲げたように救仁郷氏の所説通りであることは事実だし、またケインズが帰国後ケンブリッジで「平和条約の経済的側面」と題する講義を行なったことも先に述べた通りである。

 

しかし、ケインズは本書の表題には「条約」の文字を入れておらず、したがって‘the Peace’を、平和一般でないことはもとよりとしても、平和条約に限定しなければならぬ理由はないし、また、「平和条約」、「平和会議」の語は、「講和会議」、「講和条約」と平行して使われてきたし、また今でも使われているので、本訳書では、従来の耳慣れた表現にしたがって「平和の——」とした。ちなみに、前掲のかつての外務省条約局の翻訳では、条約の方は「平和条約」、会議の方は「講和会議」となっている。

 

 

(2)ヴェルサイユ条約中に(したがってまた本書中に)登場する‘Allied and Associated Powers’等の表現は、字義通りに訳せば、外務省条約局の訳でそうなっているように「同盟ならびに連合国」とする方が妥当である。しかし、ヴェルサイユ条約でこのような表現が用いられるようになったのは、戦時中ならびに平和会議の過程で、アメリカ合衆国が、同じ陣営に属して戦いながらも、自己が条約を結んでいない他の同僚諸国と自国とを区別しようとしたことに発しているのであって、‘Associated Power’はアメリカ合衆国一国であり、‘Allied Powers’が他のすべての英仏米側の国である。

 

そして、(ケインズ自身も本書でしばしばそうしているように)第一次大戦時の英仏米側はしばしば一括して簡単に‘Allied Powers’と呼ばれ、日本語では連合国(側)ないし、ときとして協商国(側)と呼ばれており、これに対して同盟国(側)ないし中欧の同盟国(側)として、独墺側を指すのが普通である。したがって、‘Allied and Associated Powers’を「同盟ならびに連合国」と訳しながら‘Allied Powers’を「連合国」と訳すのは訳語の不統一であるし、他方、前者の訳語に合わせて、‘Allied Powers’を「同盟国」と訳せば、独奥側をもって同盟国とする通常の用語法上、これまた混乱を生ずる。

 

そこで本訳書では、原語の字義に即した通常の訳語には反するけれども、‘Allied and Associated Powers’を「連合ならびに協同国」と訳し、‘Allied Powers’を「連合国」として、その間の統一をはかるとともに、通常独墺側を指す「同盟国」との混同を避けることにした。御了承をお願いしたい。

 

(3)「ケインズ全集」版の本書には、ごく少数の些細なミスプリントがあるが、これは『平和の経済的帰結』の旧来の版とも照合のうえ、とくに断わらずに、訂正して訳出した。

 

一 全集版の本書への「編集者ノート」によると、本書には日本語版の翻訳があることになっている。既述のように本書には、本全集版公刊後、救仁郷繁氏の邦訳が刊行されているが、時間関係上、「編集者ノート」記述のものが救仁郷氏訳書とは考えにくいが、それ以外に本書の公刊された邦訳書はないはずである。この点、東洋経済新報社を通じて「全集」の原典出版先に問い合わせたのだが、これまでの返事だけでは、まだ確定的結論を出しうる段階には至っていない。

 

昨年秋になって、「誰の訳かわからないが」「戦時中のガリ版ずりの」『平和条約の経済的帰結』と題されているらしい翻訳があることを知ったが、残念ながらまだ同訳を目にする機会を得ず、「編集者ノート」の記述とそのガリ版ずりの翻訳とのあいだに関係があるのか否かも不明である。訳者としても、さらに調べてみたいと思っているが、この点、何らかの御教示が得られたら幸いである。

 

一 本書訳出の過程では、多くの方々から種々の形で御教示をいただいた。第一にあげなければならないのは、監閲の労をとり、不適切な訳語や訳文の生硬な個所などについて細かな御注意をいただいた、国際基督教大学教授、安井琢磨先生である。第二に、先にあげた救仁郷繁氏の訳業からも多大の恩恵を蒙った。本書の訳出を受諾した後に氏の訳書がでたとき、新たな訳書を作ることをやや躊躇しつつ結局私が別個に訳すことになったのであるが、一応の下訳を作ったうえで氏の訳書と照合して、思わぬ脱落の発見や訳文の改善等の点で、非常な助けを受けた。

 

氏の訳文に同意しえない点も若干あるけれども、邦訳書がすでにあることの有難さを改めて痛感させられた次第である。仏訳、独訳は、救仁郷氏の訳書を参照したうえでも訳出に疑問の残る点を当たってみたのであるが、卒直にいって、神益されるところは少なかった。原書中に引用されている詩の出典や訳詩については、東京大学助教授、上島建吉氏から一方ならぬ御助言をいただいた。

 

末尾のシェリーの訳詩については、石川重俊訳『縛を解かれたプロミジュース』(岩波文庫版)も参照した。また、訳語、文献、人名などについては、学習院大学教授、斉藤孝氏、慶応大学教授、松浦保氏、一橋大学助教授、美濃口武雄氏、東京大学助教授、坂井栄八郎氏にも、いろいろな段階、いろいろな形で御教示御配慮をいただいた。これらの方々に、またお名前を掲げなかったが何らかの形で御教示御配慮いただいたすべての方々に対して、ここで厚くお礼申し上げたい。ただし、訳文の最終的責任は、いうまでもなく訳者一人のものであり、ありうべき誤訳や不適切な解釈等に対して、読者の忌憚ない御批判をいただけたら幸いである。

 

最後に、終始さまざまな御手数をおかけし、いろいろ御配慮いただいた東洋経済新報社出版局、桃山剛志氏に心から謝意を表明したい。

 

昭和五二年二月

 

早坂忠一