経済学の歴史(慶應義塾大学出版会)

経済学の目指すものは何か?その問いから経済学の発展を見つめなおす1冊

 

経済学はどのような問題に答えようとしているのか、どのような考え方を重視し、何について議論してきたのかを明らかにしてくれる一冊である。特に道徳哲学的な考察が明らかにされている古典派経済学を重視し、「科学と道徳哲学」や「生産と分配」の問題を中心に古典から現代までの経済学どのように発展してきたか、どのような全体構図なのかについて丁寧に追いかけた一冊である。

はしがき

 

この本は、経済学がどこからきて、これから先どこへ行こうとしているのということについて、順序良く、分かりやすく説明することを目的としている、経済学に入門するための王道は経済学の歴史を勉強することであると、は、つねづね考えてきた。本書はこれから経済学を学ぼうとする大学生を念頭において対筆したものだが、経済学を以前に勉強したことがあるが、も一度、あらためて今の経済学についても勉強し直してみようと考えている人たちにも勧められる。

経済学の歴史について勉強すれば、経済学がこれまで何を問題にし、その問題に対してどう答えてきたかについて知ることがで「経済学の概念が難しいという苦情に応えるためにも、経済学の歴史は役にかつ、経済学の歴史をさかのぼると、もともと経済学者たちは、普通の人の使う言葉で経済学について語ってきたことが分かる。やがて経済学者たちは、数学的表現を含めてより専門的で正確な言葉や概念を使って議論するようになったが、そのような発展の歴史を一歩一歩たどることによって、専門的な用語の意味が理解できるようになる。

経済学の歴史は、経済学への入門者のためにだけでなく、専門的な研究者にとっても役に立つ。というのも、経済学は、今、大きな転換を果さなければならなくなっているが、そのためにも、原点に立ち戻って、経済学がこれまでどのような問題に答えてきたか、今後どのような問題に答えていかなくてはならないかについて、考え直す必要があるからである。

本書は、以上のような目的から経済学の歴史について、第1部の古典派経済学と、第2部の近代経済学とに分けて、そのどちらにも偏ることなく、できるだけ分かりやすく、また詳しく説明していく。12章に分けて検討した中には、スミス、リカード、マルサス、ミル、マルクス、ワルマルクス、ワルラス、パレーバヴェルク、ウィクセル、パレート、マーシャル、メンガー、ウィーザー、ベームバヴェルク、ミーゼス、ハイエク、ケインズ、そしてヒックスなど、多数の経済学が含まれている。これらの経済学者たちについては、これまで古典派経と近代経済学とに区別して論じられてきたが、本書では、それらのもむしろ連続性の側面を強調した。

それは、古典派経済学も近代経済学も、一貫して生産と分配、雇用や資本と成長の問題を社有子の中心問題としてきたからである。このように本書は、古典派経済学と近代経済学について、いずれか一方の経済学の傾向に注意を集中することなく、そのどちらについても、できるだけ公平に焦点を当てることに心がけた。

経済学は、世界の貧困問題を解決」現代の社会生活をより自由で快適なものにすることを目指してきたし、今後もそのための社会改革に資することを求められているが、そのような経済学の目標を達成するためには、偏った考え方に固執するのではなく、古いものから新しいものまで、より多くの種類の経済思想や経済理論から謙虚に学ぶ必要がある。本書のもう一つの特徴は、ポパーの科学論によって、経済学の科学としての発展の道筋を明らかとすると同時に、スミスの『道徳感情論』の解釈などを通じて、道徳哲学としての経済学の基礎についても明らかにしたことである。経済学は、一方で科学として今後とも発展していかなければならないが、他方では道徳的な基礎についても再検討しなければならない。

各章の初めには〈要約〉を用意し、学生がこれを見て予習しやすくするとともに、講義の指針としても役立つようにした。また付随的な知識に関して「コラム(Column)」の中で解説し、里要な用語は「キーワード(KeyWord)として取り上げ、「コメント(Comment)」ではそれぞれの学説に対する筆者の批判や意見を述べた。最後に、各章末の「より進んだ研究のための参考文献」と「問題」では、学生が自分たちでさらに進んで勉強するための参考になるような文献と問題を掲げた。

本書は、もともと城波大学、自治医科大学、そして立正大学において、20年以上にわたって経済学の歴史について講義してきた内容に基づいて書かれている。本書の基本的な考え方については、東京大学名誉教授の根岸隆先生の教えに従っている。根岸先生には、真っ先に御礼を申し上げなくてはならない。ただし本書の誤りについては、私自身の責任であることは言うまでもない。また、それぞれの大学でお世話になった教職員の先生方、熱心に私の読売を開いて質問してくれた学生や院生たちにもここで感謝する。また慶應義塾大学出版会の島崎功一氏、木内鉄也氏、喜多村直之氏には、出版までのご尽力に感謝する。最後に、本書は、立正大学経済研究所の援助を受けていることを記しておく。

2014年10月22日

立正大学経済研究所にて 小畑二郎

小畑 二郎 (著)
出版社 : 慶應義塾大学出版会 (2014/11/21) 出版社 : 慶應義塾大学出版会 (2014/11/21) 、出典:出版社HP

 

目次

はしがき

経済学の歴史的連関連図

 

 

序章 なぜ経済学の歴史を学ぶのか

1 経済学の歴史を学ぶことの意義

2 テキストの構成と使い方

3 経済学の歴史を学ぶ方法論について

4 経済学の歴史に関する本書の立場

 

第1部 古典派経済学

第1章 経済学の誕生前史

1 経済学の誕生までの経済史的背景

2  思想的背景

3  政治哲学の革命

4  スミスの『道徳感情論』(1759)

5  まとめ

第2章 スミスの経済学(1)

〈前史〉

1『国富論』(1776)の問題設定:序文:

2『国富論』の篇別構成と概観

3 分業と市場

4 価値・真の価格:2つの労働価値説

5 剰余価値論:商品価格の構成部分

第3章 スミスの経済学(2)

6 経済学の原点:スミスの経済思想

7 自然価格と市場価格

8 資本蓄積、貨幣と信用

9 統治の経済学:重商主義批判と自然的自由の体系

10 スミスの経済学のまとめ

第4章 リカードと古典派経済学(1)

1 序論

2 リカード経済学の中心的な問題:序文

3 労働価値説(

4 自然価格と市場価格

5 分配の長期動態と定常状態

第5章 リカードと古典派経済学(2)

6 リカードの外国貿易論

7 セイの法則と古典派の貨幣理論

8 リカードと古典派経済学

9 リカードの機械論

第6章 マルクスの経済学

1 マルクスの思想

2『資本論——経済学批判』(1867、1885、1894)

3 労働価値説

4 剰余価値論または搾取説

5 生産価格と転形問題

6 資本蓄積論

7マルクス経済学と社会主義の困難

 

第2部近代経済学

第7章近代経済学の誕生―限界革命

1 近代経済学の出発

2 1870年代の大著作

3 近代経済学の思想的源泉

4 価値論における古典と近代

5 効用理論の歴史と近代経済学におけるその発展

 

第8章 ワルラス=パレ―トの一般均衡理論

1 ワルラス=パレートの経済思想とその起源

2 一般的理論の主題

3 ワルラス=パレートの一般均衡理論の解答

4 一般的理論の成果と問題点

第9章 マーシャルの経済学

1 マーシャル経済学の思想的基礎

2 マーシャルと古典派経済学との関係

3 現代経済学におけるマーシャルの特徴

4『経済学原理(1890-1920)』の需別構成

5 企業と市場の経済学

6 分配論

第10章 メンガーとオーストリア経済学:

1 概説

2 メンガー経済学の出発点

3 メンガー経済学の内容

4 その炎のオーストリア経済学の発展と論争

 

第11章 ケインズの思想と経済学

1 歴史的背景:「平和の経済的帰結」

2 ケインズ:哲学者としての出発

3 ケインズ:政治経済学のヴィジョン

4 代表的著作における主題の展開

5 ケイン『一般理論』(1936)の経済学

6 ケインズ政策とその帰結

 

第12章 ヒックスの経済学と現代

1 序論

2 ケインズ経済学の普及とIS-LM理論

3 ヒックス:経済学研究の出発点

4 後期ヒックスの研究の特徴とその歴史的背景

5 貨幣理論の研究

6 資本理論の研究

7 経済史の理論

索引

Key Word

比較優位の法則〈5章〉

購買力平価說〈5章〉

物価・正貨のフローメカニズム〈5章〉

貨幣数量説〈5章〉

セイの法則〈5章〉

パレート改善と最適〈8章〉

厚生経済学の基本定理〈8章〉

 

Comment

スミス労働価値説のもう一つの解釈:後ろ向きの価値と前向きの価値〈2章〉

資本主義経済における搾取〈6章〉

メンガー経済学とマーシャル経済学の補完性〈10章〉

ベーム-バヴェルクの資本理論に対するメンガーの反対理由〈10章〉

IS-LM理論の問題点と貨幣・資本理論の研究〈12章〉

 

Column

労働経済思想の現代的な意義〈2章〉

スミスの分業論のその後〈2章〉

スミスの資本論、とくに人間資本の取り扱いについて〈3章〉

リカードの生存賃金説の歴史的な背景〈4章〉

リカードの救貧法反対の理由〈4章〉

リカードとケインズのヴィジョンの比較〈4章〉

金本位制の自動安定装置について〈5章〉

マルクス資本蓄積論の応用〈6章〉

マーシャルの短期の市場均衡における商人(企業)の役割〈9章〉

伝統的な利子批判と『ヴェニスの商人』〈9章〉

〈要約〉

1 経済学の歴史を学ぶことの意義

  • 経済学の標準的なテキストとの関係
  • 大学における経済学教育――「経済学の歴史」が欠落

(2) 経済学の発展の歴史を知ることの意義・どのような問題と取り組んできたのか?一問題の歴史的変遷を知る

  • どのような学説が重視されてきたのか?―理論の多様性と思相中的・学説の対立/継承関係は?―批判的討論の意義
  • どのような問題に今取り組んでいるのか?——現代の経済問題
  • 近代社会の成り立ちを知るための中心・経済学は16-18世紀以来のヨーロッパ近代社会とともに発展した
  • 明治以来の日本の近代史の中心となってきた
  • 政治経済学の重要性

2 テキストの構成と使い方.・テキスト各章の構成

〈要約〉講義の道しるべ

〈本文〉経済学の歴史に関する詳しい説明や問題点の指摘

〈より進んだ研究のための参考文献〉

〈問題〉

3  経済学の歴史を学ぶ方法論について

  •   経済学は、道徳哲学と科学の両側面から人間の社会生活について考察する
  • 「モラリスト×エキスパート」の学問である
  • 経済学の科学的側面についての検討・ポパー――試行錯誤法と反証可能性・クーン――科学革命の構造とパラダイム転換
  • ラカトシュー 研究プログラム、ハードコアとプロテクティブベルト

(2) 道徳哲学としての経済学

シュンペーター経済学の源泉は道徳哲学か時論的な評論古典派経済学――分業と市場経済の道徳的基礎近代経済学一個人主義

  •   自由主義の立場から市場経済の基礎を検討
  • マーシャル経済学功利主義と進化論に基づく厚生経済学ケインズ経済学――不確実な金融経済、政策担当者の責任倫理ヒックス
  • 新オーストリア理論――自由社会と法の下の機会平等

4 経済学の歴史に関する本書の立場

  • 経済学の古典と近代の両方の重視
  • これまでの経済学の分裂・近代経済学:新古典派総合・ワルラス=パレートの一般均衡理論――ミクロ経済学・ケインズ『一般理論」、IS-LMモデル――マクロ経済学・マルクス経済学:マルクス『資本論』を原理とする経済学および経済史・本書の立場:経済学の多元的歴史を重視。
  • 古典の重視:スミスーリカードJ.S.ミルーマルクスの継承と批判的関係
  • 近代経済学:マーシャル経済学―ケインズ革命―ヒックスの経済学・経済学と時間:古典派経済学——超長期の経済循環と秩序・マーシャル経済学――短期の部分的市場均衡の分析・ケインズ経済学―中期の金融経済の変動の分析
  • ヒックス経済学――市場プロセス/資本の時間構造の分析11経済学の歴史を学ぶことの意義
  • 近代経済学、マルクス経済学
  • 小畑 二郎 (著)
    出版社 : 慶應義塾大学出版会 (2014/11/21) 出版社 : 慶應義塾大学出版会 (2014/11/21) 、出典:出版社HP

1 経済学の歴史を学ぶことの意味

(1) 経済学の標準的なテキストとの関係

日本の多くの大学では、ミクロ経済学、マクロ経済学、マルクどのテキストが経済学教育のために、これまで使われてきた。しかし、これらのテキストの中には、経済学の歴史に関する説明が足りなかった。このキストでは、経済学のこれまでの多くのテキストの中に不足してきた経済の歴史について、主として学んでいきたい。

(2) 経済学の発展の歴史を知ることの意義

経済学の歴史を知ると、次のようなことが明らかになってくる。まず、経済学がこれまで、どのような問題と取り組んできたかについて、明らかになる。これまで多くのテキストの中では、経済学の答えだけが書かれてきた。しかし、問題のない答えはありえない。問題が理解されて、はじめて答えの意味も分かってくる。まして、経済学には、多くの未解決問題があって、解決すべき問題は、たくさん残されている。したがって、経済学が、どのような問題に答えてきたかを知ることは、経済学の現在の到達点を知るためにも不可欠である。

次に、経済学には、いろいろな考え方がある。そこで、どのような考え方がこれまで重視されて、今日まで来たかについて知ることは、経済学の多様性とその歴史的背景を知る早道である。経済学には、数学のように一つの答えだけがあるわけではない。そのような経済学の多様性を知ることが大切である。また経済学は、論争的な学問である。これまでにもいろいろな経済理論が考え出され、それぞれが互いに論争し合ってきた。何を議論してきたかについて、経済学の歴史が明らかにしてくれる。最後に、経済学が今どのような問題に答えようとしている。他のテキストでもある程度分かるが、経済学の歴史を学ぶことによって、現代の問題に関する関心は一層深まるにちがいない。

(3) 近代社会の成り立ちを知るための中心

経済学の歴史を知ることの意義は、この他にもたくさんある。そもそも経済学は近代社会の発展のために役立ってきたのだが、そのような経済学の役割については、経済学の歴史によって明らかにされる。経済学の歴史の始まりは、どんなに早く見積もっても、せいぜい16世紀か17世紀にさかのぼるにすぎない。それ以前の社会の原理は、経済学よりも、政治や法律、もしくは宗教などに求められてきた。

経済学が近代社会の発展に役立ってきたのは、それが基本的人権を尊重し、自由な個人による自発的な協調を促してきたからである。そのことについては、アダム・スミスの『国富論』がアメリカの独立宣言と同じ1776年に出版されたことによっても想像できる。また福沢諭吉が、日本の近代化のためには、何よりも経済学を学ばなければならないことを強調していたことによっても、明らかとなる。経済学は、単なる経済に関する学問であるだけでなく、近代社会の組織原理を明らかにする政治経済学でもあるからだ。

2 テキストの構成と使い方

このテキストの各章は、以下のように構成されており、それぞれ、どのような順序で読んでもよいが、次のように使えば、学習のために一層便利になると思われる。

〈要約〉講義の道しるべ。講義の前に、あらかじめ講義のあらすじについて予習しておくために使い、講義のときに開いて、講義の進み方を理解する。またノート代わりに書き込んでもよいかもしれない。またキーワードが表示されているので、経済学の用語に慣れるためにも便利であろう。

〈本文〉講義の要点に関するより詳しい説明。講義のあとに、よく聞き取れなかった点やよく理解できなかったこと、さらにもう一度確かめておきたいことなどの復習に役立てる。なお、文中で取り上げた書籍については原著作刊行年を付しておいた。

〈より進んだ研究のための参考文献〉本書によって関心を持った人には、さらに進んだ研究のための参考文献を用意した。卒業論文の参考文献としても役立ててもらいたい。なお参考文献には翻訳書のみを掲げ、〈〉内に原書の出版年を付した。ただし現在、本屋で売っていない本もあるので、図書館などを利用してもらいたい。

〈問題〉各章ごとに読者の理解度を確かめるための問題をいくつか用意した。経済学の歴史について考える材料として使ってもらいたい。

3 経済学の歴史を学ぶ方法論について

経済学は、科学と道徳哲学の2つの側面を同時に備えた学問として、これまで発展してきた。このテキストでは、このような2つの側面について、どちらの側面も重視しながら、それらの歴史的な推移について明らかにする。経済学の歴史は、モラリスト×エキスパートとなるための必修科目なのである。そこで、経済学の科学と道徳哲学の2つの側面について勉強するための方法論として、このテキストが参考とした考え方について、あらかじめ紹介しておこう。

  • 経済学の科学的側面についての検討

このテキストでは、経済学の科学的側面を理解するためにカ(KarlPopper:1902-94)の科学論とそれに関連した議論を参考とした。そこで以下では、ポパーの科学論についてその要点を解説し、関連する議論と、その方法を経済学に応用するときの注意点について述べておこう。

ポパーは、科学こそ、人間の能力が最も理想的に発揮される分野であると考えた。なぜならば、そこでは人間が知識の向上を目指し、その知識に基づいてより良い環境や社会を実現しようとする努力が最大限に発揮されるからである。人間は何事かを知ろうとするとき、まず問題を発見し、その問題の解決に向かって何らかの理論を考案し、その理論に基づいて問題の解決にあたる。

そして、問題をうまく解決できないときには、その理論を訂正するか、もしくは理論の現実への適用の仕方を変えてみるだろう。あるいは問題の立て方そのものが間違っていたことに気づくかもしれない。このような「試行錯誤( Trial & Errors )」の過程を通じて、人間は、より適切な知識を身につけて真実に近づき、われわれを取り巻く社会や環境をより良いものにすることができる。また、われわれ自身の人格もより良いものに高めることができる。このような科学の「試行錯誤」のプロセスを図式化すると次のようになる。

 

 

P1 – TT – EE/CD – P2

(問題の発見)―(暫定的理論の発明)―(理論の適用と反証/批判的討論)― (新しい問題の発見)

 

(P = Problem, TT = Tentative Theory, EE = Error Elimination, CD = Critical Discussion)

 

 

 

 

このような「試行錯誤」のプロセスに従うことが科学の最も重要な特徴だ、とポパーは述べている。他方で、科学には実験が不可欠だと考えられている。それは、実験によって理論の正しさが証明されるからではない。むしろ反対に、理論の誤っている点について、実験によって気づかされるからである。科学的理論の正しさを完全に「実証(verify)」することは、全知全能の神ならばともかく、人間には不可能である。人間にできることは、ただ理論の誤りを実験によって正すことだけである。

ある理論が誤っていることを、実験を含めた経験的事実によって示すことは、「反証( falsification )」と呼ばれている。科学の特徴は、理論を経験や実験によって実証することではなく、むしろそれらを反証することである。あるいは自由な批判的討論を通じて理論を反駁できることも科学の特徴である。このように、経験的事実や批判的評証可能( refinable )」であることが、科学のもう一つの規準とされ、このように、ボバー科学論の特徴は、科学が「試行錯誤」の過程にする。および、反証可能でなければならないことの2点に要約される。

以上のようなポバーの考え方は、科学的研究の指針として今日まで採用されてきている。また科学だけでなく、多かれ少なかれ「試行錯誤」の過程に従う合理的な企業経営や経済政策についても、このような規準は応用できる(の第11章p261)。未知の分野に挑戦する人間の合理的行動に関しては、試行錯誤や反証を通じて自分たちの行動の誤りを正し、より良い知識を獲得してより良い成果をあげることが必要なのである。

 

 

ポパー科学論に対する反論

ボバーの科学論は、もちろん完全なものではない。いくつかの有力な批判がこれまでにも加えられてきている。そのうちでも、よく知られているクーンの「パラダイム論」とラカトシュの「リサーチ・プログラム論」とについて、ここで紹介しておこう。トーマス・クーン(ThomasKuhn:1922-96)は、物理学や天文学などの研究においては、ポバーの「反証可能性」の規準は、科学の規準として使われてこなかった、と批判した。ある有力な学説が提出されると、それに追随する科学者たちの「パラダイム集団」が形成され、その集団に属する個々の研を老たちは主要な学説が示唆する細分化された分野での日常的な研究(パズル盤巻)に没頭する。

そして、たとえその学説に対して有力な反証が提出されたとしても、しばらくは主要な学説を訂正しようとはしない。彼らが研究の方向を変えるときは、その研究者集団が維持できなくなるほどに反証や反論が積み重ねられたときに限られる。クーンは、このようなときに初めて「パラダイム転換」、すなわち理論の大転換が始まると考えた。このように科学の歴史は、経験的事実による反証よりも、むしろ、科学者集団の社会心理学的な動きに従ってきたと、クーンはポパー科学論を批判したイムラカトシュ(hareTakatore:19227)は、一面ではターンの批判を認めたが、基本的にポパーの科学論のほうを支持した。

実際の科学の発展過程が、ポパーのいうような反証に従ってこなかったのは、科学のリサーチ・プログラム(計画)」が二重の構造からできているからである。その中には研究計画の中心命題からなる「ハード・コア(中核)」があり、この部分に関しては、反証することは不可能である。他方で、その命題を証

中実に通用した仮説は、その計画の「プロテクティブ・ベルト(防結)」と呼ばれ、ハード・コアの外側の周辺部分を取り囲んでいる。この周辺理論については、経験的事実によって反証が可能になる。実際の科学的開発が必ずしもポパーのいう反証に従ってこなかったのは、その中核に反証を受けないハード・コアがあるからである。だが、実際の研究の大部分は、周辺理論に関連するから、科学的研究のほとんどは、ポパーのいう反証に従ってきたといってよい。

経済学の歴史においては、リカードのような古典派経済学やマルクス経済学など、すでに反証を受けたとされている過去の理論が一部で依然として支持されているから、反証による理論の交代が典型的に演じられてきたとはいえない。それは、労働価値説や市場均衡論など、異なった「ハード・コア」が反証を受けることなく、それぞれの理論体系を支えてきたからである。

このように複数の異なった理論体事の共存をうまく説明できるタカトシュの科学論は、経済学の科学としての歴史をよく説明するものとして、これまで参なにされてきた(根岸隆「催済学の歴史」)。経済学の科学的方法に関する注意点このテキストでは、以上のような反論を考慮しながらも、基本的には、ボパーの科学論を参考にして経済学の科学的側面について検討する。

この科学論がさまざまな経済問題を解くためだけでなく、その他の合理的な人間の社会的行動を理解するためにも参考になるからである。ただし、すべての科学理論が、先に示したような典型的な反証のテストに使うわけではない。またボバー自身が歴史研究について言及しているように、経済学のような社会科学においては、反証による誤りの排除(EE)より、批判的討論(CD)による学説の発展のほうが参考になる。

経済学の歴史は、まさに判的討論(論争)によって推し進められてきたといってよい。「また科学は、問題の発見に始まるが、その問題の発見は必ずしも科学的な基準に従うわけではない。カバーは、科学の問題の発見については、むしろ「形而上学」が役に立つとさえいっていた。ラカトシュのいうように、科学の研究計画においては、反証不可能な「ハード・コア」がその中心を占めるが、その理由は、出発点となる問題の発見がしばしば科学以外の論理に従うからであろう。

さらに理論の大きな転換が起こるのは、多くの場合、以前とは違った問題が発見されたとき、または、問題の立て方自体の誤りに多くの人が気づいたときに限られる。それ以外のときには、科学的研究は、以前と同じ問題に対して様々に異なった解答を試みている。したがって、クーンの「パラダイム転換」に関する議論も、実際の科学の歴史を理解するときには参考になる。

経済学については、この他にも考慮すべき特殊な事情が指摘できる。その一つは、経済学においては、純粋の実験がしにくいこと、またもう一つは、経済学においては、それぞれの時代の人々の社会的な価値観や目的意識などが強く反映することである。経済学の歴史については、科学的側面の他にも道徳的または社会思想的な側面が検討されなければならないのはこのためである。

(2)道徳哲学としての経済学

社会科学の一分野としての経済学が自然科学と違う点は、物理学や天文学などが何らかの物質に関連する科学であるのに対して、経済学は単なる物質ではなく、あくまでも人間の社会的行動に関連する科学だという点にある。人間は、意識または意欲を持って、個人的かつ社会的に行動している。その行動は、ちょうどボバーの科学論が明らかにしたように、何らかの問題を発見し、その問題の解決に向けて仮説(理論)を立てて取り組み、より良い状態を実現しようと試みるところに特徴がある。

そのような人間の行動に関する分析は、一自然科学と同じようかの発見や理論の設定に関しては、人間の価値観や目的意識が強く反映する。そのような人間の価値観や目的意識については、個々人の間に大きな違いにあり、またそれぞれの時代ごとに大きく変化する。その点については、単に用具関係を説明するだけではなく、自分たち自身のことに照らして他の人々の価値観や目的意識に対して共感したり、互いに理解し合ったりするっとも大切である。このような人間同士の共感や相互理解が経済学においては重要な役割を果たしているので、道徳的側面と科学的側面との両方について、検討する必要がある(ウェーバー「社会科学方法論」)。

経済学における道徳的基礎の変遷

人間の価値観や目的意識の違いについて研究するのが、道徳哲学または倫理学の役割である。経済学は一面では、自然科学と同じような科学であると同時に、他面では、道徳哲学の一分野である。スミスを初めとする主要な経済学者たちのほとんどは、道徳哲学の分野でもいくつかの主要な仕事を残している。

経済学の主要な革新は、新しい価値観や目的意識に基づく問題の発見によって可能になる。「シュンペーターは、経済学の源泉をたどると、道徳哲学か、もしくはそれぞれの時代の経済問題に関する時論的な評論かのいずれかから始まった、と書いている(シュンペーター「経済分析の歴史』)。その道徳哲学も、時代とともに変わってきた。

スミスに始まる古典派経済学の時代には、労働(分業)と市場経済の道徳的基礎が問題とされていた。これに対して、限界革命(◎第7章)を経たのちの近代経済学は、個人主義、自由主義の立場から市場経済の道徳的基礎について研究するようになった。マーシャルは、経済学を道徳哲学から切り離そうとしたのだが、他方では、切利主義と進化論とに経済学の道徳的な基礎を見出そうとした(○第9章)。ンズ経済学以降の現代になると、不確実な金融経済の変動の中でその時ふさわしい倫理的基礎が探求され、財政・金融政策の担当者の責任倫理が問われている(○第11章)。最後にヒックス経済学以降の道徳的基礎については、今後の研究課題であるが、オーストリア学派と同じく、市場経済や社会主義経済の批判を通じて、自由で開かれた社会の実現を目指してきたのではなかろうか(○第12章)。

このように、経済学は、その誕生以来、一面で科学であることを目指してきたが、他面では、個々人の価値意識や目的意識を重視する道徳哲学的な基礎の上に築かれてきた。本書は、このようなモラル・サイエンス(道徳科学)としての経済学の本来のあり方について経済学の歴史を通じて理解することを目指している。

 

4 経済学の歴史に関する本書の立場

古典派経済学と近代経済学

このテキストは、古典派経済学と近代経済学の両方について、現代経済の理解のための重要な学説として検討している。その理由を述べよう。

古典派経済学が重要であるのは、経済学の科学的側面と道徳的側面の両方を明らかにしているからである。近代経済学は、経済学の科学的側面については、その数学的表現を含めて、熱心に研究してきたが、その半面で、思相的・倫理的側面については、あまり詳しく検討してこなかった。このことが、このテキストで、古典派経済学を大きく取り上げた理由の一つである。

もう一つの理由は、古典派経済学が生産と分配の問題の解明を中心的な主題としてきたからである。生産と分配の問題は、近代社会の出発点となった経済学の基本問題であった。そして、今また、人間の労働のあり方や雇用の問題が重要な問題になりつつある。古典派経済学の生産と分配の理論は、そのまま現代の問題の解決に役立つわけではないが、現代の問題を再検討するための重要な出発点となる。このことが、このテキストにおいて、古典派経済学を大きく取り上げるもう一つの理由である。

近代経済学の重要性については、このテキストは、通説とはやや違った見方をしている。近代経済学における伝統的な考え方は、経済学は、ワルラス=パレートの一般均衡理論を出発点とするミクロ経済学と、ケインズ経済学を発展させたマクロ経済学との2つの体系の総合(新古典派総合)からなるというものであった。そして近代経済学と、古典派経済学、とくにマルクス経済学とでは、まったく違う経済学の捉え方をしているものと考えてきた。これまでの経済学は、ミクロ経済学とマクロ経済学からなる近代経済学と、経済史に力点を置くマルクス経済学とへ、不幸にも分裂してきたのである。

これに対して、このテキストでは、古典派経済学と近代経済学との間に断絶よりも、むしろ連続的発展を見ている。すなわち、古典派経済学の総括者であったJ.S.ミルの経済学は、マーシャル経済学の原理へと発展し、ケインズ経済学の出発点ともなり、さらに、オーストリア経済学とケインズ経済学とを総合するヒックス経済学に引き継がれていくものと考えている。経済学の区分は、ミクロとマクロの区分であるよりも、むしろそれぞれの経済学が扱う時間の長さに関連する。

すなわち、古典派経済学は、超長期の時間を想定して、長期的な市場経済の発展と秩序を問題にし、マーシャル経済学は、市場の短期的な働きを中心に経済学を組み立て、ケインズ経済学は、中期的な金融経済の変動に対する政府の重要な役割を明らかにしていた。そして最後に、ヒックス経済学は、時間の連続性の中で、市場のプロセスや資本主義的生産の時間構造を明らかにしようとしていた。以上のような経済学の歴史に対する見方に立って、このテキストでは、近代経済学の発展の流れを検討する(「経済学の歴史的連関図」pp.vid-ix)。

〈より進んだ研究のための参考文献〉

ウェーバー著、加藤恭・富永祐治・立野保男訳『社会科学方法論』岩波文|庫、1936年〈1922〉

クーン著、中山茂訳『科学革命の構造」みすず書房、1971年〈1962〉シュンペーター著、東畑精一訳『経済分析の歴史(全7巻)』岩波書店、

1955-1962年〈1954〉

ハチスン著、山田雄三ほか訳『近代経済学説史(上・下)』東洋経済新報社、

1957年〈1953〉

ブローグ著、久保芳和ほか訳「新版経済理論の歴史(全4巻)』東洋経済

「新報社、1982-86年〈1961〉

ポパー著、大内義一・森博訳『科学的発見の論理(上・下)』恒星社厚生閣、

1971-72年〈1934〉

モロウ著、鈴木信雄・市岡義章訳『アダム・スミスにおける倫理と経済」

未來社、1992年〈1923〉

ラカトシュ/マスグレイヴ著、森博訳『批判と知識の成長』木鐸社、1985

年〈1970〉

根岸隆『経済学の歴史(第2版)』東洋経済新報社、1997年

〈問題〉

1 経済学の歴史を勉強することが、なぜ大切であるかについて、それぞれの立場から考えてみよう。また、経済学が一つではなく、なぜいろいろな経済学の考え方があるのかについて、考えてみよう。

2 科学とは何か、人間にとって、あるいは社会にとって、科学はどのような役割を果たしているかについて、考えてみよう。

3 経済学は、科学なのか思想なのかについて考えてみよう。

小畑 二郎 (著)
出版社 : 慶應義塾大学出版会 (2014/11/21) 出版社 : 慶應義塾大学出版会 (2014/11/21) 、出典:出版社HP