入門 経済学の歴史 (ちくま新書)

経済学史についての学説やトピックを明快にまとめた良書

 

経済システムを貫く客観的法則をはじめて見出したケネーや国民を豊かにするために何が必要かを徹底的に考え抜いたスミス。こうした経済学の草創期からリカード、マルクス、ワルラスらを経てケインズ、シュンペーター、ガルブレイス、そしてフリードマンやマンキューなど現代の経済理論に至るまでを明快に解説した良書。重要トピックごとに学説史を再構成し、理論間のつながり・対立点が鮮やかに浮き彫りになる点で初心者でも読みやすい。

入門 経済学の歴史 [目次]

 

はしがき

 

プロローグ――経済学史の全体像をおさえる

ケネーからアダム・スミスへ/古典派経済学/マルクス経済学/「限界革命」と新古典派経済学/ケインズ革命/新古典派総合から現代経済学へ/経済学の異端児たち

 

第一章 経済循環の発見

ケネー『経済表』の偉業/「重農主義」の思想/『経済表』の経済政策/アダム・スミスとケネー/『資本論』の再生産表式/マルクスの剰余価値論/資本の蓄積過程/シュンペーターの「静態」/「新結合」とは何か/「銀行家」こそが真の「資本家」/シュンペーターの発展理論好況と不況のしくみ/「静態」「動態」

【コラム1】経済思想史家としてのシュンペーター

【コラム2】マルクスとシュンペーター

 

第二章 価値と分配の理論

リカード経済学の体系――四本の柱/リカード理論を図式化する/比較生産費説/限界効用説vs生産費説/マーシャルの価値論――需要と供給の均衡/ワルラスの一般均衡理論/限界革命のもたらしたもの/スラッファによる「古典派アプローチ」の再生/『商品による商品の生産』の骨子

【コラム3】「定常状態」をめぐって

【コラム4】 メンガーの主観主義

 

第三章 ケインズ革命

ケインズとヴィクセル/ケインズの『貨幣論』/「有効需要の原理」へ――「セーの法則」との決別/「国民所得」はどう決まるか/乗数理論/ケインズ像はなぜ歪められたのか――「波及論的乗数」の幻想/ケインズの投資決定論/流動性選好説/流動性の罠/「不確実性」の問題――「投資の社会化」とは何か/ケインズの「危機意識」

【コラム5】二つの貨幣数量説

【コラム6】「自由放任の終焉」をめぐって

 

第四章 多様なケインジアン

ケインズ経済学を「長期化」する/ハロッドの三つの基本方程式/ハロッドの「経済動学」/ソローの「新古典派成長理論」/カルドアによるハロッド理論への批判/「新古典派総合」の黄金時代/ポスト・ケインジアン――「不確実性」をめぐって/マクロ経済学のミクロ的基礎―――ルーカスの勝利/「新しい」ケインジアン?――マンキューの理論/私は大不況をこの目で見た! ――トービンの疑問/「よい経済学者」の条件とは?

【コラム7】悲運のハロッド

【コラム8】J・ロビンソンの「血気」

【コラム9】価格の決定と産出量の決定の分離

 

第五章 制度主義の展開

ヴェブレンの『有閑階級の理論』/アメリカにおける「制度主義」の展開/ガルブレイスの「制度的真実」への挑戦/「ジャーナリスト」としてのガルブレイス/「非経済的要因」への着目―――ミュルダールの制度主義/「新制度学派」の経済分析――コースの問題提起/青木昌彦の「比較制度分析」

【コラム10】ミュルダールの「価値前提の明示」

【コラム11】「審美的次元」について

 

あとがき

文献案内

 

補説(中村隆之)

1 スミスの「自然価格」と「市場価格」の区別/2 マーシャルの「部分均衡理論」/3 スラッファはなにゆえ「古典派の価値論」を再生しようとしたのか/4 「セーの法則」について/5 「IS/LM分析」再入門/6 ケインズ理論の長期化・動学化/7 マクロ経済学のミクロ的基 礎/8 「制度」とは何か――「経済学の本流」が軽んじてきたもの

 

人名索引

根井 雅弘 (著)
出版社 : 筑摩書房 (2010/4/7)、出典:出版社HP

 

 

はしがき

気がついてみれば、私は、すでに二十年もの長いあいだ、京都大学で経済学史や現代経済思想を教えてきたことになりますが、本書を手にとった読者のなかには、ミクロ経済学やマクロ経済学に代表される現時点でのスタンダード・エコノミックスが「初級」「中級」「上級」の教科書になって教えられているというのに、なぜ数十年はおろか数百年も前の経済学の古典を学ぶ必要があるのかという疑問を抱く方々も少なくないかもしれません。一部の理論経済学者は、過去の理論は現在ではすでに乗り越えられていると考えて、経済学史の効用を全く否定してさえいますが、本当にそうなのでしょうか。

私は、『経済学のことば』(講談社現代新書、二〇〇四年)の「あとがき」のなかで、経済 学史を「宝の山」にたとえたことがありますが、そう書いたのは、経済学の「モデル」が 日々進化しているように見えても、その理論の背後にある「思想」は決して新しいものではなく、それこそ数百年も前の経済学史上の登場人物たちの言説の「焼き直し」や、ときには「歪曲」に他ならない場合が少なくないからでした。その意味では、経済思想はそう簡単に死ぬものではないといってもよいでしょう。

例えば、ベルリンの壁の崩壊のあと、「資本主義」が「社会主義」に完全勝利したという単純な図式から、「資本主義」を動かしてきた「市場メカニズム」こそが経済問題をほとんど解決してくれるのだという、いささか粗雑な「市場原理主義」が論壇を席巻したことがありましたが、彼らはよくみずからの主張の正当性に箔をつけるために、アダム・スミスの『国富論』(一七七六年)のなかに出てくる「見えざる手」という言葉を引用したものでした。

スミスを「市場原理主義」の「元祖」のように理解することは、『国富論』の前に書かれた『道徳感情論』(一七五九年)のなかで、スミスが競争における「フェア・プレイ」の重要性(「公平な観察者」が見て是認するような行動をとらなければ、市民社会において「同感」が得られないこと)を指摘した事実を知っていれば、単純な誤りであることは明白なので すが、社会主義の象徴であったベルリンの壁が崩壊してからは、「市場原理主義者」たち がそのように誤解されたスミス像を全世界に「伝道」していった感があります。しかし、経済学史の素養があれば、「市場原理主義者」たちのスミス理解がきわめて偏っていたことが見抜けたに違いありません。

もっとも、論壇を離れて、学界に目を転じるならば、さすがに「市場原理主義者」と呼べるような経済学者はごく少数であることがわかりますが、それでも、現代アメリカの高名な保守派経済学者がマスコミに登場したときに公にする内容(例えば、「経在的要因」以外のものはすべて脇に置いて、インドが急成長しているのは「自由市場」の卓越性をようやく理解したからだとか、オバマ民主党政権のGM救済策は「社会主義化」への危険な道を開くのだとか)を聴いていると、本人が明確に意識しているかどうかはわからないものの、誤解されたスミス像の影がさしているように思えてなりません。

もう一つ例を挙げるならば、リーマン・ショック以後の金融危機が引き金となった「世界同時不況」下の昨今、一部の経済学者やエコノミストが「ケインズの復活」を声高に主張しているのですが、彼らが指しているケインズ経済学は、往々にして、赤字財政による大規模な公共投資を正当化する理論に他なりません。しかし、ケインズ経済学を正確に理解すれば、それが「生産の貨幣理論」という特徴をもっており、不況になれば財政出動を 要請するような粗雑な政策論とは明確に区別されることを知るでしょう。

要するに、現代の経済理論や経済議論のなかには、経済学の古典のなかの誤解を招きやすい部分がデフォルメした形で紛れ込んでいることが少なくないのです。それゆえ、経済学史の正確な知識をもつことは、偉大な経済学者たちの遺産を粗雑な形で利用されるのを防ぐだろうし、また改めて経済学の古典を響くことは、現代経済学のなかに十分に活かされていないアイデアの発見につながるかもしれないという期待をもってもよいのではないでしょうか。学問をあまり功利主義的に考えたくはありませんが、私は、それこそが経済学史の「効用」であると考えています。

 

 

プロローグー経済学史の全体像をおさえる

 

本書は、テーマ別に経済学の歴史を語るというコンセプトで書かれていますが、第一章以下で具体的なテーマに即して学んでいく前に、まず、経済学の大きな流れをつかんでおく必要があると思います。

 

+ケネーからアダム・スミスへ

単行本の『経済学の歴史』(筑摩書房、一九九八年、現在は「講談社学術文庫」に収録)で述べたように、私は、独自の学問としての経済学は、フランソワ・ケネー(一六九四-一 七七四)の「重農主義」(フィジオクラシー)に始まると考えています。ケネーの『経済表』(一七五八年)こそが、「経済循環」の客観的な法則を発見した点において、それ以前の経済思想とは明確に区別されるからです。たしかに、何らかの意味で「経済」について断片的な思索を遺した人たちを辿っていけば、それこそ古代ギリシャやローマの哲学者たちにまで到達するかもしれませんが、しかし、近代社会の「資本主義」と呼ばれる経済システムがどのような法則で動いているのかを、一つの「表」のなかに表現したケネーの天才に勝る者は一人もいないというのが、私の考えです。

もちろん、ケネーの「重農主義」は、農業のみが生産的である(「純生産物」を生み出す)と考えている点で、明らかに限界をもっているので、アダム・スミス(一七二三−九○)を「経済学の父」と考える経済思想史家が多いのは事実です。私もイギリスにおける「古典派経済学」の黎明をスミスの『国富論』(一七七六年)に求めることには異論はないものの、「経済循環」の発見によって経済システムを貫く客観的な法則を明確に認識したケネーの偉業はやはり屹立しています。しかし、ケネー以後、経済学の本流が、『国富論』の出版を境に、フランスからイギリスへと移ったことは事実です。

スミスは、「富」とは、「重商主義」の思想家たちが考えたような「貴金属」ではなく、 国民の労働によって生産される「必需品と便益品」(=消費財)のことだと『国富論』の冒頭において宣言し、国民を豊かにする(一人当たりの消費財を増やす)には、「分業」による労働生産力の増大と、労働人口に占める「生産的労働」(農産物の他に工業製品を生産する労働も「生産的」と見なした点ではケネーよりも一歩前進していますが、サービスを生産する労働は依然として「不生産的」であると判断されました)の割合を増加させる必要があると主張しましたが、『国富論』は、全体として、教養のある人なら誰でも読めるように書かれており、経済学の理論と実践にきわめて大きな影響を与えました。

例えば、理論においては労働価値論が、実践においては独占や規制を撤廃した「自然的自由の制度」の「理想」(「見えざる手」という表現が「自由放任主義」のようにしばしば誤解されたのは残念ですが)が、スミスからデイヴィッド・リカード(一七七二ー一八二三)を経てジョン・スチュアート・ミル(一八〇六ー七三)へと受け継がれたイギリスの「古典派経済学」の人々に与えた影響は計り知れないものがあります。

 

+古典派経済学

リカードは、最も理論的な頭脳をもっていた古典派経済学者といってもよいと思いますが、その才能は、彼の「経済学および課税の原理』(一八一七年)において遺憾なく発揮されています。リカードは、全生産物が「地代」「利潤」「賃金」の名で三つの階級(「地主」「資本家」「労働者」)に分配されるのを規定する法則を解明することを主要課題に設定しましたが、彼は、四つの構成要素(「投下労働価値説」「差額地代說」「賃金の生存費說」「収穫逓減の法則」)を総合して出来上がった理論体系によって見事にそれに応えました。

リカードは、『人口論』(一七九八年)の著者であるトーマス・ロバート・マルサス(一七六六ー一八三四)との往復書簡をみると、経済学上の多くの問題でマルサスとは見解を異にしましたが、お互いの才能を高く評価しており、終生、親密な友好関係を保持したことで知られています。

リカードのあとは、最後の古典派経済学者ともいわれるJ・S・ミルがその権威を受け継ぎましたが、ミルは、リカードとは違って、私有財産制度を自明の前提とせず、ドイツのロマン主義やフランスのサン=シモン派の思想などの影響を受けて、歴史相対主義への傾向を見せました。それゆえ、ミルの『経済学原理』(一八四八年)も、単なる抽象論で満足せず、みずから言明しているように、広く社会哲学への適用を目論んだ著書に出来上がっています。

ミルの『経済学原理』は、「生産・分配峻別論」(自然法則としての生産の法則と、人間の意思によって決定される分配の法則を明確に区別すること)や、「定常状態」(「コラム3」を参照)を回避すべきというよりも積極的に評価する姿勢などの特徴をもっていますが、これらは、たしかに、リカードまでの「古典派経済学」にはなかった考え方でした。

 

+マルクス経済学

しかし、ミルの『経済学原理』が出版された一八四八年は、奇しくも、カール・マルクス(一八一八一八三)とフリードリッヒ・エンゲルス(一八二〇一九五)が『共産党宣言』を発表した時期と重なっています。「万国のプロレタリア、団結せよ!」と。マルクスは、その後、「疎外された労働」や「史的唯物論」などの重要概念を練り上げていき、一八六七年、ようやく『資本論』(第一巻)の出版に漕ぎ着けました(第二巻と第三巻は、マルクスの死後、エンゲルスが遺稿を整理し、それぞれ、一八八五年と一八九四年に出版されました)。「剰余価値」「価値形態」「資本の有機的構成」などの概念は、「資本主義」「社会主義」の時代には、経済学を学ぶ人たちの「常識」に近いものでしたが、ベルリンの壁の崩壊後 は、マルクス経済学のABCでさえ経済学部の学生たちにも理解されていないのが現実です。しかし、「生産諸力と生産関係の矛盾」に注目し、資本主義が崩壊するまでを描いた『資本論』(第一巻)は、マルクス主義者でなくとも、一度は読んでみる価値があると思います。

ともあれ、マルクス経済学の登場によって、マルクス主義者たちは、ミル以降の経済学の本流とは違う道を歩んでいくのでした。

根井 雅弘 (著)
出版社 : 筑摩書房 (2010/4/7)、出典:出版社HP

 

 

+「限界革命」と新古典派経済学

さて、最後の古典派経済学者であるミルが活躍したあと、しばらくして、経済学には「限界革命」と呼ばれる革新が生じました。オーストリアのカール・メンガー(一八四○−一九二一)、フランスのレオン・ワルラス(一八三四−九一〇)、イギリスのウィリアム・スタンリー・ジェヴォンズ(一八三五−八二)の三人が、ほぼ同時期に、「限界効用」(消費量を一単位増やしたときの効用の増分のこと)の概念をつかみ、のちの「限界概念」による経済理論の展開に大きな影響を与えたのです。「総効用」と区別された「限界効用」の発見は、かつてアダム・スミスが「価値のパラドックス」と呼んだ難問の解決につながりました。―すなわち、水は「総効用」は高いけ れども、稀少でないために「限界効用」が低く、そのためにほとんど交換価値をもたない。反対に、ダイヤモンドは、稀少であるために「限界効用」が高く、交換価値もきわめて高くなると。

ただし、最近の研究は、三人の貢献を単に「限界効用」の発見という共通項で括るよりは、例えば、メンガーの場合は「主観主義」、ワルラスの場合は「一般均衡理論」というように、それぞれ独自の経済理論を切り開いた仕事のほうを重視するようになっています。また、ジェヴォンズは、早死にしたので、後継者を残さなかったのですが、のちに、アルフレッド・マーシャル(一八四二−一九二四)というきわめて有能な経済学者が登場し、イギリスの経済学界に君臨するようになりました。

マーシャルは、「古典派経済学」に対して激しい敵意をもっていたジェヴォンズとは違って、「古典派経済学」と「限界革命」の双方の思考法に通じていましたが、最終的に、「時間」の要素を明示的に導入することによって両者を「需要と供給の均衡」という枠組みのなかに包摂することに成功しました。――すなわち、価値論においては、想定される時間が短ければ短いほど「需要」の要因を、逆に、時間が長ければ長いほど「供給」の要因を重視すべきであると。

マーシャルの価値論は、すべての市場における「需要と供給の均衡」を考えるワルラスの「一般均衡理論」と区別するために、「部分均衡理論」(特定の財の市場において、「他の事情が変わらなければ」という条件のもとでの「需要と供給の均衡」を考える思考法)と呼ばれることがありますが、「限界革命」以降にイギリス経済学界の混乱を収拾し、ミルの次にイギリス経済学の正統派の地位を襲ったのはマーシャルだったことを忘れてはならないと思います。マーシャル経済学は、「古典派」の本流を受け継ぐという意味で「新古典派」と呼ばれましたが、現在、「新古典派」という言葉は、ワルラスの一般均衡理論の流れをくむ人たちを指す場合が多いので、注意が必要です。

 

+ケインズ革命

マーシャルは、ケンブリッジ大学で教鞭を執っているあいだ、アーサー・セシル・ピグー(一八七七―一九五九)、ジョン・メイナード・ケインズ(一八八三一一九四六)、デニス・H・ロバートソン(一八九○一九六三)などのきわめて優秀な弟子たちを育成しましたが、私たちは、その研究集団を大学の名に因んで「ケンブリッジ学派」と呼んでいます。

ところが、「ケンブリッジ学派」というイギリス経済学のまさに本流のなかから、その権威に対して叛旗を翻した者が登場しました。『雇用・利子および貨幣の一般理論』(一九三六年)のなかで「有効需要の原理」(社会全体の「有効需要」の大きさが産出量や雇用量を

決定するという理論)を提示し、産出量や雇用量の決定理論が欠落したマーシャルやピグーを痛烈に批判した有名なケインズです。

ケインズが経済学にもたらした革新は、「ケインズ革命」と呼ばれるほど大きな影響を内外に与えましたが、ケインズが「ケンブリッジ学派」のなかの「異端児」であったことは間違いないものの、彼もまたその学派の「申し子」であり、「ケンブリッジ学派」の遺産の多くを引き継いでいることが見落とされがちです。もちろん、「ケインズ革命」の過小評価は慎まなければなりませんが、ケインズは、もともと「ケンブリッジ学派」のなかにあったもの(例えば、マーシャルやピグーの「自由放任主義」への懐疑、「果実を求める学問」としての経済学観など)の多くを共有しているのです。

 

+新古典派総合から現代経済学へ

ケインズの死後、イギリスからアメリカへの覇権国の交替とともに、イギリス経済学も本流たる地位を失い、アメリカの経済学が主流派の地位を占めるようになりましたが、その地では、若い頃から天才の評判の高かったポール・A・サムエルソン(一九一五−二〇○九)が説いた「新古典派総合」がまもなく主流派となりました。

「新古典派総合」は、ワルラスの流れをくむ「新古典派経済学」に「ケインズ経済学」を。接ぎ木した経済学(「ケインズ経済学」の教えである総需要管理によって完全雇用の実現に努力するが、いったん完全雇用に至れば、市場メカニズムを基本的に信頼した「新古典派経済学」が 復活するという考え方)だったので、当初から、理論的整合性については疑問が投げかけられていました。しかし、少なくとも一九七〇年代の前半までは、主流派経済学だったといってよいのではないかと思います。「ベトナム戦争以後のインフレの昂進、ミルトン・フリードマン(一九一二−二〇〇六)の「マネタリズム」(貨幣数量説の現代版で、インフレ抑制のために貨幣供給量を一定率で増やしていく政策をルール化することを提言しました)の台頭などによって「新古典派総合」が権威を失ってからは、経済学者たちは、「新古典派総合」を構成したどちらか一方のほうをとる方向に向かいました。

多数を占めたのは、「新古典派経済学」をとった人たちですが、そのリーダーだったロバート・E・ルーカス(一九三七ー)は、「マクロ経済学のミクロ的基礎」を掲げ、マクロ経済学をミクロの経済主体の最適化行動から構成する方法論を確立しました。ルーカスのいわば「ケインズ反革命」によって、以前のアメリカのケインジアンたち(大半は、「新古

典派総合」の立場に近かったと思います)は、「オールド・ケインジアン」と呼ばれるようになり、学界の中枢からは放逐されることになりました。「新古典派総合」の構成要素から「ケインズ経済学」をとった少数派は、「ポスト・ケイ ンジアン」と呼ばれる方向に向かいましたが、イギリスの「ポスト・ケインジアン」(ケインズの弟子筋に当たるジョーン・ロビンソンやニコラス・カルドアなど)とも連携しながら一定の活躍はしたものの、少数派であることには変わりがなく、残念ながら、学界に大きな影響を与えることはありませんでした。

もっとも、一部は、N・グレゴリー・マンキュー(一九五八―)のように、「ニュー・ケインジアン」を名乗り、ケインズ経済学の新たなミクロ的基礎の仕事に傾注した人たちもおりますが、彼らの方法論は、基本的にルーカスのそれを踏襲しており、ただ「価格や賃金の硬直性」などのように市場メカニズムを阻害する要因がある場合、ケインジアン的な状況が一時的に生まれることを論証したに過ぎません。

 

+経済学の異端児たち

経済学の歴史には、ときどき、「風変わり」な人物が登場します。そのほとんどは本流

から外れているのですが、ソースタイン・ヴェブレン(一八五七―一九二九)というアメリカが生んだ異端児は、有名な『有閑階級の理論』(一八九九年)のなかで「顕示的消費」(世間の注目を浴びるような派手な消費行動によって、他者との差別化を図ること)という有閑階級の行動に注目し、主流派の最適化行動(この場合は、「予算制約内の効用最大化」)では捉えられない有閑階級の実態を暴露しました。

ヴェブレンのあとには、「制度学派」と呼ばれる人々(ウェズリー・C・ミッチェル、ジョン・R・コモンズなど)が続きましたが、彼らは、必ずしもヴェブレンの「辛辣な批評家」の面を受け継がなかったものの、それぞれ独自の「制度」概念をもって興味深い活動を展開しました。現代のジョン・ケネス・ガルブレイス(一九○八二〇〇六)やグンナー・ミュルダール(一八九八二−九八七)なども「制度学派」の流れをくんでいます。

このプロローグでごく簡単に紹介した経済思想は、第一章以降にテーマ別で登場しますが、これだけの大まかな経済学の流れが頭に入っていれば、特定の登場人物がいつの時代に活躍したのかについて迷うことはないと思います。

 

根井 雅弘 (著)
出版社 : 筑摩書房 (2010/4/7)、出典:出版社HP