経済学入門シリーズ 経済思想<第2版> (日経文庫)

様々な経済学者たちの経済思想を面白おかしく学べる良著

本書では、アダム・スミス、マルクス、ケインズ、シュンペーターら経済学の巨人たちの考え方について歴史に沿ってわかりやすく解説されおり、経済思想の全体観が身につく内容となっている。「田舎ざむらい経済学と出会う」「英国女王のご質問」など興味深いエピソードをコラムで紹介されており、非常に読みやすい構成、内容となっている。

はしがき

二十世紀の終末を迎えたころ、経済思想への関心が高まり始めました。これまでは、経済思想というと、経済学の本格的学習のまえの入門的なコースであるとか、資本主義は是か非かとかいった学生風の議論を思い浮かべたものです。しかし、いまでは、ビジネスパーソンが週末に経済思想史の本をひもとき、主婦がどこかの大学の市民講座に経済思想のテーマのレクチャーを聴きにいくといっても少しもおかしくない時代になりました。

経済学にたいする人々の期待も、有効な政策提言や正確な経済予測といった直接的なものだけに向けられているのではないでしょう。むしろ、成長重視の価値観が様々な面から挑戦を受け、社会主義や資本主義についてのこれまでの通念が崩れたなかで、現代の経済社会がどのような方向に向かおうとしているのかを人々は知りたいのだと思います。産業の競争力においても物質的な豊かさにおいても世界の最高水準に到達した現在の日本社会のもとでは、この関心はかつてのように性急な問いかけの姿をとってはいません。それだけに、ありきたりの答えでは、簡単に満足させることのできない深い知的関心になってきているのでしょう。

経済学はいままさに転換期にあります。理論構築の際の基本的枠組みという意味でも、また経済理論がめざすべきヴィジョンという意味でも、新しい経済思想が強く求められています。しかし、新しい思想の肥やしになるものは、過去の人々の積み上げてきた知識・理論・思想についてのとらわれない理解です。それに支えられてはじめて、実践的意識から生まれる先鋭な思想は、個人の多様性を許容する社会に適合したものに変わっていくのです。本書はそうした経済思想を、経済学の発展に沿って概説しようとするものです。といっても、テキストというよりは、読者がいつでも途中下車したり、コースを変えたりできる周遊旅行のガイドブックのようなものと考えていただければ結構です。

本書はご覧の通りの小著ですが、その執筆は思ったより難航しました。何とか終わりまでたどりつけたのは、編集担当者の堀口祐介さんの激励と穏やかな催促のおかげです。草稿の一部は講義やゼミで用いて学生の反応をみましたが、全部に目をとおして改善の相談相手になってくれたのは社会経験のある大学院生の佐々木一功さんです。最後に、日ごろ経済学史・思想史研究の分野でオープンな交流をさせていただいている方々にも、お礼を申し上げます。本書のような入門書の執筆にあたっても、先学・同学の研究や翻訳の成果に助けられることがどれほど多いかを痛感したからです。

一九九三年四月

 

第二版はしがき

本書の第一版は、東欧・ロシアの変革から間もない一九九三年に刊行されました。アメリカではクリントン民主党政権が成立し、レーガン流の政策からの脱却がはかられているときでした。日本では資産バブルが崩壊し、経済状況の急変がおきた時でした。良い方向にせよ、悪い方向にせよ、何かが変わり経済思想も経済学も変わるという予感がありました。一九九〇年代初頭の私は、経済思想もかつてのように堅苦しい、あるいは重苦しいものではなくなり、新しい時代に生きる人々の常識になることを念願しました。現在では、かなりの程度そうなったのではないかと思いますが、二〇年前の状況は異なりました。

今回は、最初の刊行から二〇年近く経った時点にふさわしい改訂をほどこそうと思いまし た。主要な改訂は、二〇〇七 – ○九年の世界金融経済危機の経験にふまえてX章を新設したことですが、序章や図章にも加筆や構成の変更があります。本書がなおも生命をもっているとすれば、著者として嬉しく思います。

二〇一一年四月

八木 紀一郎

八木 紀一郎 (著)
出版社 : 日本経済新聞出版; 第2版 (2011/5/14)、出典:出版社HP

 

 

経済思想―[目次]

 

序章 経済思想への招待

1 経済思想とは

2 経済思想の多様性

3 再生するアダム・スミスー

4 ケインズ、そしてマルクスの復活

 

[I]経済の発見―重商主義時代の経済学

1 オイコス(家)の経済

2 市場という範型

3 国家と貨幣流通

4 物価上昇の発見

5 重商主義という名称

6 貿易差額論

7 正貨の自動配分論

8 トレイドとコマースー

9 近代的産業労働としてのインダストリイー

 

[Ⅱ]経済の骨格と再生産―古典派経済学の生誕

1 ペティの近代的科学精神

2 列強の国力評価

3 経済の循環と再生産

4 「経済表」の想定する経済構造

5 「経済表の範式」

6 重農学派と経済的自由主義

7 新しい世界の予言

8 スミスの社会科学体系

9 分業の生産力的効果

10 分業と商業社会

11 資本主義の認識

12 自然価格論

13 見えざる手

 

[Ⅲ]成長と分配の法則―十九世紀のイギリス古典派

1 十九世紀の資本主義像

2 マルサスの呪い

3 地金論争と穀物法論争

4 分配理論の探求

5 リカードの価値論

6 古典派の賃金理論

7 理論家J・S・ミルー

8 古典派経済学と社会思想

 

[Ⅳ]途上国の反古典派―ドイツとアメリカの経済学

1 自由貿易帝国主義

2 愛国者リストー

3 国民経済の理論

4 アカデミズムの歴史学派

5 社会政策学会

6 ウェーバーの近代資本主義論

7 ウェーバーの合理主義論

8 ヴェブレンの資本主義文明批判

八木 紀一郎 (著)
出版社 : 日本経済新聞出版; 第2版 (2011/5/14)、出典:出版社HP

 

 

[V]ユートピアと階級闘争―社会主義者の経済学

1 理論が大衆をとらえる

2 社会主義思想の二重性

3 サン・シモンの産業主義

4 社会主義者の経済学批判

5 疎外された労働

6 資本論への道のり

7 労働価値説と商品論

8 窮乏化と利潤率低下

9 再生産論と恐慌論

10 マルクスの歴史的予言

 

[Ⅵ]経済人と市場均衡―限界主義の経済学

1 水とダイヤモンドの逆說

2 限界効用理論の出現

3 限界効用論による交換論

4 価格決定の理論

5 一般均衡のヴィジョン

6 メンガーの主観主義

7 限界効用理論と社会的最適

8 限界生産力理論と「完全分配」

9 限界主義は静態の経済学か

10 「はさみの両刃」

11 有機的成長

 

[Ⅶ]経済変動の探求―貨幣的経済理論とケインズ

1 貨幣ヴェール観

2 ヴィクセルの累積過程論

3 静態と動態

4 革新者としての企業者

5 ケインズの貨幣経済論

6 投資・貯蓄による所得の決定

7 セイ法則批判

8 ケインズの修正資本主義論

9 ケインズ理論の動学化

 

[Ⅷ]巨大組織の時代―独占と組織の経済学

1 大企業と国家

2 独占資本主義

3 不完全競争論

4 価格の硬直性

5 外部性と公共財

6 社会化と社会主義経済計算論争

7 ソ連の工業化

8 官僚制と経営者革命

9 企業組織による環境の内部化

10 内部組織の経済学

 

[Ⅸ]論争のなかの現代経済学

1 古典派雇用理論への批判

2 新古典派総合

3 マネタリズムの躍進

4 反ケインジアンの諸潮流

5 マクロ経済学における新しい対立的

 

[X]経済危機が示す課題

1 サプライ・ショックーグ

2 世界金融危機

3 危機を生み出したインバランス

4 エヴォリューショナリイ・エコノミックスは可能か

5 理想の経済学者

 

参考文献

 

用語解說

貨幣は経済活動を刺激するか?

限界効用均等の法則

短期・長期

 

COFFEE BREAK

田舎ざむらい経済学と出会う

バブルの陰にいた二人の銀行家

必読書『国富論』

父子経済学者

経済学の制度化

協同組合と株式会社

ポリティコ・エコノミック・マン

資本主義の成功の帰結

キツネとハリネズミーハイエクの市場観

英国女王のご質問

 

経済学系統図

人名索引

 

八木 紀一郎 (著)
出版社 : 日本経済新聞出版; 第2版 (2011/5/14)、出典:出版社HP

 

序章 経済思想への招待

1 経済思想とは

経済思想というのは、経済理論や経済政策の基礎にあって、その基礎概念や体系構成を方向づけている考え方です。明確な理論や政策に具体化される以前の経済思想それ自体は、経済という特殊な関心が向けられる状況についての一種直観的なイメージです。そのなかには、状況のなかで行動する主体とその相互関係、および彼らをとりまく制度的・自然的環境の特定のとらえ方が含まれます。

これらは認識の道具というより認識自体の枠組みであり、人々はそれによって自分と世界の関係を理解しています。したがって、それには、意識的にせよ、無意識的にせよ、しばしば強い価値評価がともなっています。現在の秩序を肯定的にとらえる場合もあれば、強く変革を志向している場合もあるでしょう。このようにいえば、生きて経済活動をしている人間はみな、経済思想をもっていることになります。

しかし、経済活動にあっては人々や、企業、国家といった各種の行動主体は相互に影響しあっていますから、たとえば、賃金引き上げが社会にどのような影響をもたらすかを認識するためには、直観に頼ることはできません。何らかの結論を得るためには、各経済主体の行動パターンを定式化したうえで数段の論理的操作を行わなければなりません。こうした論理的操作を行いうる概念群をもった経済理論が現れてはじめて、経済思想は直観やドグマの域を脱したものに成長するのです。しかしどのような定式化と論理操作を行うべきかは、あるいはどのような経済理論を採用するかは、認識主体の直観的認識、あるいは経済思想に依存するのですから、経済思想の発展が経済理論の発展を促すこともあるでしょう。

 

COFFEE BREAK

田舎ざむらい経済学と出会う

上野寛永寺にたてこもった彰義隊を官軍が掃討にかかり、江戸中が大混乱になるなかでも福沢諭吉が慶応義塾での講義を休まなかったことはよく知られていますが、そのとき彼が手にしていたのは英語の経済学書でした。

福沢は、経済学をつうじて、独立心をもった個人どうしの経済的競のなかから社会の秩序が生まれることを知り、さらにそれを支える市民倫理に進みました。それは福沢自身にとっても思想の大転回を意味しました。

「そも全輩の身分を尋れば、生来士族の家に育せられて下の何物たるを知らず所読の書は四書五経、所聞の家訓は忠孝武……故に当時その心魂の所在を尋れば、未だもって田舎武士の全況したる者というべからず。この田舎武士の魂をもって偶然に西百国出版の中箱を読みるの治国経済修身の議論に遭ひしことなれ一時脳中に大騒乱を起こしたるもまた由縁なきにあらざるなり。」(岩波書店版『福沢諭吉全集』第4巻)

 

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博覧強記の経済学史家でもあったJ・A・シュンペーターは、経済学には、その論理的一貫性や洗練度の点から進歩を論じることのできる経済の「分析装置」と、そうしたことの不可能な経済の「ヴィジョン」があると論じました。わたしたちがいま経済理論といっているものは「分析装置」、経済思想といっているものは「ヴィジョン」にあたります。しかし、経済理論と経済思想の相互関係という点からみれば、先に述べたように、この二つは相互に支え合いながら発展するのです。

経済政策論においては、政策の目的や政策の実施主体が議論の重要な要素になりますから、経済思想との結びつきは経済理論以上に直接的な性格をもっています。ときには、政策と思想の結合が、経済理論の発展に先行することもあるでしょう。個々の政策は、とくにその目的および主体に関して固有の構造をもっているので、直観的あるいは思想的な評価・選択が行われやすいからです。しかし、理論的な分析によって提供される諸要素の関連についての理解なしには、政策の直接・間接の効果の十分な認識は不可能です。

 

2 経済思想の多様性

経済思想の特徴は、それが多様でありうるということです。

その根拠は、第一には、社会には経済的条件に差異のある多様な集団が存在しているので、経済思想についても、どのような集団、あるいはどのような集団の組み合わせを準拠集団にするかによって複数の経済思想が成立しうるからです。

第二には、経済には、市場的交換だけでなく、家族のような共同体、企業のような人為的組織、国家のような権力的組織などによる多様な調整メカニズムが併存しているので、価値的に、あるいは実効的に、どれを基準にとって考えるかという点で差異が生じうるからです。

これらは思想の外部の客観的要因からの説明です。しかし、思想を現実によって反証することはきわめて困難であり、その結果、思想は強い自己維持的な性質をもっていることも見落とすべきではありません。思想は、その成立時とは異なる新しい現実に直面するとき、多くの場合、マイナーな修正や追加的な説明を付加して切り抜けていくでしょう。他の領域の思想同様、経済思想が死滅することがあるとすれば、それは、変化を遂げながら発展していくエネルギーを失い、支持者がいなくなる場合です。特定の経済思想が人気を博していた社会集団、また特定の経済思想が基準としていた調整メカニズム自体の変質がそれと重なるかもしれません。

 

3 再生するアダム・スミス

しかもある経済思想が一時は死んだものとみなされても、その思想の構図に共感するひとが現れて復活することがよくあります。たとえば、アダム・スミスの経済思想について語ることは、かつてはかなり古臭いことのように思えました。しかし、最近ではそうではありません。

大内兵衛さんは『国富論』の岩波文庫版(『諸国民の富』)の翻訳者でしたが、その解説に「やがて死ぬべき定めではあろうがなかなか死なぬのがスミスである」と書いたものです。大内さんが社会主義者であったことを考えてその真意を推測すれば、日本はマルクスの理論に基づいて社会主義になるべきだが、資本主義にとどまるかぎりは、スミスの理論も現実の資本主義を評価する基準としてまだ生命を保つであろう、といったことだったのでしょう。

ところが、ちょうどスミス死後二〇〇年にあたる一九九〇年に、世界では、社会主義経済から私営企業主体の市場経済に移行しようとする大きな波のような動きがみられました。日本でスミスを記念して行われたシンポジウムでは、旧ソ連からの参加者も中国からの参加者も、スミスが経済社会の改革を導く灯火のもっとも大きな一つになることを認めました。ロシアや東欧などではスミス以上に、スミスの現代版としてハイエクが人気を博しました。経済主体の自由をそれ自体絶対的価値として擁護したハイエクは、確かにかつての計画経済の批判者としてもっとも徹底した立場にいます。しかし、市場経済に対応した人間の意識の背後に、市場と分業が健全に発展し、資本蓄積が順調に実現される客観的条件をみようとするスミスは、ハイエク以上に現実主義者です。

改革開放のかけ声のもとに中国が市場経済に転換して二〇年以上がたちました。世界のリーダーが集まるダボス会議に参加した中国の温家宝首相は、市場経済のもとでの公正という問題を考える際にアダム・スミスの『道徳感情論』が重要であると発言しました。スミスは、いまや中国の「社会主義市場経済」の指針にまでなったのです。

アダム・スミスは、産業の衰退に悩む西側諸国でも再生しています。イギリスのサッチャー保守党政権、アメリカのレーガン共和党政権が、福祉国家政策から富裕層優遇にコースを変え、規制の廃止ないし緩和によって経済を活性化させようとしたとき、アダム・スミスはこの流れにさおさした政治家たちのシンボルになりました。

 

 

3 ケインズ、そしてマルクスの復活

東欧・ソ連の社会主義圏の崩壊によって冷戦が終結したあと十数年は、資本主義がその勝利を謳歌したネオ・リベラリズムの時代でした。日本経済は資産バブルの崩壊によって停滞を余儀なくされましたが、アメリカは情報通信技術に支えられた国際的な金融活動によって世界の余剰資金をひきつけ、ニューエコノミーとまで呼ばれた繁栄を続けました。

情報通信技術の発展と規制緩和によって生まれた新事業分野では、はばかることなしに利益を追求する行動が称賛され、長期の慎慮よりも市場での評価が正しいとされました。しかし、二〇〇七-○八年に世界規模の金融危機がおこると、こうした風潮は一転して「強欲」と非難されるようになりました。

一九二九年の大恐慌に匹敵する速度で収縮する経済を目にして人々が思い出したのは、ケインズです。ケインズは、マネーゲームは武器を用いたゲームよりはましだが、マネーゲームによって国民の生活や産業が翻弄されるのは避けなければならないと論じていました。「政府が一般的に経済を誘導できるかどうかについては経済学者の見解は分かれていますが、経破滅に瀕した金融機構を救出し、経済の縮小をくいとめるために不況対策をうつことについて章の対立はありませんでした。

各国の政府と中央銀行のあいだに国際協調が迅速に成立し、一九三〇年代のように事態を悪化させることが避けられたのは、過去の経験からの学習効果があったからでしょう。市場経済は必ずしも自己調整的ではなく、政府の行動によって補完される必要があるというケインズ的な洞察が、政府の介入を原則的に拒否するネオ・リベラリズムの信条にうちかったのです。

しかし、二〇〇七 – ○九年の世界金融危機によって露呈した経済問題は、より広範にわたっています。金融政策・財政政策を総動員して破綻をくいとめることはできても、経済危機を生んだ国内経済・世界経済のインバランスは残っています。低所得者に住宅取得資金を貸し込んでその債務を売買するサブプライム・ローンがアメリカの金融危機のきっかけでした。金融・住宅バブルの破綻のあとには、マイホームを失った数百万戸の家計と荒廃した都市が残されました。経済が回復に向かっても雇用と賃金の増加は遅々としていて、ネオ・リベラリズム時代に拡大した所得・資産格差が縮小する気配はありません。

日本経済は、二〇〇〇年前後の危機的状況を脱したあと、○八年の世界金融危機の前年まで低成長ながら拡大期が続いていました。企業は過去最高の利益をあげていたのに、国内投資は低迷し、雇用と賃金の増加は微々たるものでした。この時期に増加したのは低賃金の非正規雇用でしたから、定職のない若者のフリーター化、働きながら貧困から抜け出せないワーキング・プアーの増加という問題が出現しました。そのなかで、戦前のプロレタリア文学者小林多喜二の『蟹工船』が爆発的な売れ行きを示し、資本主義の根本的な批判者であるマルクスの『資本論』の解説書のブームが起きました。

繁栄の時代であった一九六〇年代にマルクス・ルネッサンスが起きたときには、マルクスは資本主義の人間疎外に対する批判者とみなされマルクスの青年時代の著作が愛好されました。今度は、資本主義が生み出す貧困と格差を説明する経済思想としての『資本論』のメッセージが人々をひきつけているのです。

世界経済のかつてのインバランスは、富める先進工業国と貧しい発展途上国の南北格差でした。しかし、中国やインドのような新興市場経済大国の成長が開始された現在では、それに、豊かな先進国が新興工業国の貯蓄に依存するという金融インバランス、巨大な人口が経済成長に加わったことに対するエネルギーと食糧資源のインバランス、世界的規模での経済と環境のインバランスが加わっています。さらに、アフリカでは最貧人口の増加が続き、オイル・マネーが工業化につながらないイスラム圏では社会的政治的不満が渦巻いています。

こうした二十一世紀初頭の世界経済の不均衡と格差の構造を考えるとき、視野を拡げるヴィジョンが必要であることを感じさせられます。過去の経済思想家は、現在の経済学者のように厳密な数理的論証を行っていませんが、経済現象を大局的にとらえるヴィジョンを有していました。市場経済の健全な発展を説いたアダム・スミス、資本主義の規制・誘導を説いたケインズだけでなく、資本主義的な市場経済自体を批判したマルクスの経済思想に触れることも有益でしょう。しかし、注意してほしいことは、過去の偉大な経済学者を復活させるのは、彼らの思想・学説に従うためではありません。それぞれの時代状況のもとでヴィジョンをもった経済思想を形成した彼らと対話することによって、わたしたちが奥行きのある思考をするためです。

 

八木 紀一郎 (著)
出版社 : 日本経済新聞出版; 第2版 (2011/5/14)、出典:出版社HP