商社のデータサイエンティストは何を分析しているのか-価格、需要、物流、投資審議の現場
商社のデータサイエンティストは何を分析しているのか
総合商社のデータサイエンティストが分析しているものを一言でいえば、単なる「ユーザー行動」ではなく、事業そのものを動かすための変数です。テック企業では、クリック率、継続率、利用頻度、広告効果といったプロダクト指標が分析の中心になりやすい一方、商社では、価格、需要、在庫、物流、投資判断、与信、営業提案、リスクといった、事業全体の意思決定に直結する対象が前面に出てきます。
つまり商社のデータサイエンティストは、アプリの改善や UI の最適化を主戦場にするというより、サプライチェーン、商流、顧客基盤、投資案件、エネルギー取引のような複雑な事業の流れの中で、どこにデータを入れると利益や競争力が改善するのかを考える人だと捉えるほうが自然です。
まず大きいのは、需要予測である
商社のデータサイエンティストが最も典型的に扱うテーマの一つが、需要予測です。これは単に「来月どれだけ売れるか」を当てるというより、仕入れ、在庫、物流、価格設定、販促のすべてに関わる基礎変数として使われます。三井物産の事例では、需要予測を基に価格を自動調整するダイナミックプライシングが紹介されていますし、三菱商事でも需要予測と物流効率化が DX の具体例として挙げられています。
伊藤忠食品の実証でも、倉庫別・商品別・日別に受注数を予測し、その先の発注最適化まで一気通貫でつなげようとしています。商社における需要予測は、予測そのものより、その後ろにある調達・在庫・販売・物流をどう動かすかまで含めた分析です。
価格もまた、商社のデータサイエンスの中心にある
商社のデータサイエンティストは、価格を非常に重要な分析対象として扱います。これは小売価格だけでなく、チケット価格、商品価格、トレーディング条件、販売戦略にまで広がります。三井物産では、ビッグデータと AI を使って需要に応じて価格を自動調整するダイナミックプライシング事業を前に出していますし、双日も鉱物取引における価格最適化や、水産事業会社の商品販売戦略へのデータ分析活用を示しています。商社にとって価格は、単なる販売条件ではなく、需給、顧客、競争、利益率をつなぐレバーです。そのため、商社のデータサイエンティストは価格を「予測の結果として決めるもの」ではなく、「事業を動かす設計変数」として見ていることが多いです。
物流の最適化も、非常に大きなテーマである
商社では物流もデータ分析の重要領域です。物流は、コスト、納期、在庫、環境負荷、顧客満足のすべてに関わるため、データサイエンティストの仕事が入り込みやすい領域でもあります。丸紅の DX 事例では、顧客の出荷実績など多数のデータを分析し、共同配送による最適で安価な物流手段を提案・構築する取り組みが紹介されています。三菱商事の DX 紹介でも、需給変動に対応した配送経路の最適化が挙げられています。商社の物流分析は、単にルートを短くすることではなく、出荷実績、積載条件、拠点、車両、人員、需要変動まで含めて、全体最適を考えることが特徴です。
在庫と発注も、経験則からデータへ移されつつある
商社のデータサイエンティストは、在庫量や発注量の決め方も分析対象にしています。従来、こうした判断は担当者の経験や勘に依存しやすかった領域ですが、今は販売実績、市場動向、顧客意向、リードタイム、欠品リスクなどをデータ化し、推奨値を出す方向に進んでいます。
丸紅の事例では、必要購入量の自動算出や、必要在庫量判断の形式知化が紹介されています。伊藤忠食品の実証でも、安全在庫、メーカーごとのリードタイム、最低発注ロットといった制約を加味した推奨発注数の提示が目指されています。ここでの分析は、需要予測の延長ではありますが、実務上は「現場の意思決定をどこまで再現し、どこまで改善できるか」という業務設計に近い仕事です。
投資判断や審議の高度化も、商社ならではの分析対象である
総合商社のデータサイエンティストが Big Tech と大きく違うのは、投資判断や審議プロセスそのものが分析対象に入ってくる点です。丸紅は、過去の失敗事例や関連情報を AI で分析し、投資審議の精度を高める取り組みを示しています。これは、テキスト、論点、リスク要因、意思決定履歴を整理し、「どの案件にどんな論点が潜むか」をより早く見抜くための分析に近いです。商社では一つ一つの案件が大きく、リスクも長期に及ぶため、データサイエンティストの分析は、マーケティングや業務改善だけでなく、経営判断の精度向上にも直接つながります。
顧客データの分析は、「提案」を変えるために使われる
商社の顧客データ分析は、EC のコンバージョン改善のような用途だけでなく、営業提案や商品開発、コンサルティングの高度化に使われることが多いです。丸紅の農業資材販売事業の事例では、顧客データの AI 分析によるコンサルティングや、AI 診断に基づく独自品開発が紹介されています。双日でも、水産事業会社の商品販売戦略などへのデータ分析活用が示されています。つまり商社のデータサイエンティストは、顧客データを「誰に広告を出すか」だけに使うのではなく、「顧客に何をどう提案するか」「どんな商品やソリューションを作るか」を変えるために使っているのです。
リスク管理や市場分析も重要な領域である
商社は市場変動リスクと常に隣り合わせにあるため、リスク管理もデータサイエンスの重要テーマになります。丸紅の SmartestEnergy の事例では、発電側、需要家、市場などの膨大なデータを蓄積・分析し、ポジション分析、最適化、需要予測、市場価格予測、リスク管理に活用していると紹介されています。また、丸紅の中古車ファイナンス事業では、ビッグデータに基づく与信審査が示されています。ここでは分析対象が、単なる顧客属性ではなく、市場変動、需給バランス、リスクとリターン、信用コストまで含んでいます。商社のデータサイエンティストは、収益機会を探すと同時に、損失の出方を読む役割も担っているわけです。
需要・価格・物流・在庫は、別々ではなく一体で分析される
商社のデータサイエンティストの仕事を理解するうえで大事なのは、これらの分析テーマが互いに分断されていないことです。需要予測は発注や在庫に影響し、在庫は物流に影響し、物流はコストと顧客価値に影響し、価格は需要と利益率に影響します。丸紅が提供する SCM・経営高度化ソリューションでも、「数量」を扱う需給計画と、「金額」を扱う統合事業計画を同一プラットフォームで連動させる考え方が示されています。つまり商社のデータサイエンティストは、単一の分析テーマを深掘るだけではなく、複数の変数がどうつながって事業全体を動かしているかを見る必要があります。
商社のデータサイエンティストは、「分析者」というより「意思決定の設計者」に近い
ここまでをまとめると、商社のデータサイエンティストが分析しているのは、需要、価格、物流、在庫、投資判断、顧客提案、リスクといった、事業を動かす主要変数です。しかも、それらを個別に可視化して終わるのではなく、どう意思決定に埋め込み、どう運用に定着させ、どう全体最適につなげるかまでが仕事になります。商社のデータサイエンティストは、レポートを作る人というより、データを使って事業の判断基準そのものを変える人、すなわち「意思決定の設計者」として見るほうが実態に近いです。