総合商社のデータサイエンティストは「プロダクト職」ではなく「事業変革職」

総合商社のデータサイエンティストは「プロダクト職」ではなく「事業変革職」である

総合商社のデータサイエンティストを考えるとき、まず整理しておきたいのは、Google や Amazon のようなテック企業における「プロダクト職」とは、役割の重心がかなり違うということです。テック企業では、特定のデジタルプロダクトやサービスの改善、ユーザー行動の最適化、KPI の継続的改善が仕事の中心になりやすい一方、総合商社では、データや AI を使って既存事業の競争力を高め、意思決定を速くし、新しい収益機会をつくることのほうが前面に出てきます。

つまり商社のデータサイエンティストは、ひとつのプロダクトを育てる人というより、複数の事業を横断しながら、事業そのものを変えていく人として捉えるほうが実態に近いです。データ分析そのものがゴールなのではなく、投資判断、需給予測、物流最適化、営業提案の高度化、価格設計、リスク管理、新規事業の立ち上げといった、経営や現場の変革にどう効くかが中心になります。

商社DXの主語は「サービス改善」より「事業変革」にある

総合商社各社の DX 方針を見ると、共通しているのは、デジタルやデータの活用が単なる効率化ではなく、事業変革そのものに結びつけられている点です。三菱商事は、DX を「事業のデジタル化」ではなく「ビジネスモデルそのものの変革」と位置づけていますし、伊藤忠商事も「マーケットインによる事業変革」の文脈で、収益改善やビジネスモデルの進化を加速すると述べています。住友商事は「デジタルで磨き、デジタルで稼ぐ」、双日は「Digital-in-All」を掲げ、すべての事業にデータやテクノロジーを入れる前提で語っています。ここから見えてくるのは、商社のデータサイエンティストが、プロダクト機能の一担当というより、事業変革を担うプレイヤーとして置かれているということです。

 

商社のデータサイエンティストは、事業現場に深く入り込む

総合商社では、データサイエンティストが独立した分析部門に閉じるというより、各事業の現場に深く入り込むことが強く求められます。三菱商事の DX 事例でも、デジタルだけではなく産業やビジネスの現場を深く理解することの重要性が語られています。双日でも、AI 利活用を前提とした強固な DX 推進体制のもとで、現場主導の DX が浸透していることが評価されています。商社のデータサイエンティストに必要なのは、モデルや可視化の技術だけではありません。どの事業のどこにボトルネックがあり、どの意思決定にデータが効くのかを現場の文脈で理解し、泥臭く入り込めることが重要になります。

 

 

向き合うのは、ユーザー行動よりも「事業の複雑な意思決定」である

テック企業のデータサイエンティストが、ユーザー行動やプロダクトKPIの改善を主戦場にしやすいのに対して、商社のデータサイエンティストは、より複雑で多面的な意思決定に向き合います。たとえば三井物産では、DMP を軸にデータを収集・集約し、役職員がダッシュボードや AI を使いながら、意思決定の確度や精度向上、新規事業創出につなげる構想が明示されています。

丸紅でも、過去の失敗事例や関連情報を AI で分析し、投資審議の精度を高める取り組みが進められています。商社のデータサイエンティストが扱うのは、単純なクリック率や継続率ではなく、投資、価格、需給、在庫、物流、顧客提案、リスクといった、事業全体に関わる重い判断です。

 

 

仕事の中心には「横断」がある

商社のデータサイエンティストが事業変革職だといえる理由の一つは、役割が極めて横断的だからです。総合商社は、資源、エネルギー、化学、食料、流通、物流、ヘルスケア、消費財、金融、インフラなど、多様な事業を抱えています。

そこでのデータ人材は、ひとつのプロダクトチームに固定されるより、複数の事業領域をまたぎながら、成功事例を型化し、横展開し、再現性を高める役割を担うことが多くなります。丸紅の DX 戦略でも、成功事例を型化して伝搬し、グループ全体の成長スピードを加速させる発想が前面に出ています。つまり商社のデータサイエンティストは、個別最適よりも全社的な波及効果を意識して働く場面が多いのです。

データサイエンティストの仕事は「分析」より「実装と定着」に近い

商社の現場で本当に価値が出るのは、分析レポートを一度作ることではなく、それを業務プロセスや意思決定の流れの中に定着させることです。三井物産の DD 経営でも、データ収集・集約・活用・分析を繰り返しながらスパイラルアップしていく構想が示されていますし、住友商事でも、データをフル活用して意思決定の迅速化・高度化、業務効率化、事業高度化を進めるとしています。

丸紅も、暗黙知の形式知化、価格改定ロジックの仕組み化、共同配送の最適化など、分析を運用プロセスに落とし込む例を多く出しています。商社のデータサイエンティストは、分析者というより、分析を現場で使われる仕組みに変える人だと言ったほうが近いです。

商社におけるデータサイエンティストは、新規事業にも近い

商社のデータ人材は、既存事業の改善だけを担うわけではありません。むしろ新規事業創出や事業モデルの転換にも深く関わります。三井物産は、AI 活用を通じて未来を予測し、新規事業創出につなげると述べていますし、双日も既存ビジネスの価値向上だけでなく、新たな事業創出による価値創造を DX 戦略の中に明確に置いています。

伊藤忠もデータ活用そのものを事業領域として拡大し、パートナー企業との連携を通じて新しいビジネスをつくろうとしています。こうした文脈では、データサイエンティストは「既存KPIを改善する人」ではなく、「次の商流や収益源をつくる人」に近づいていきます。

 

だから商社のデータサイエンティストには、プロダクト感覚より事業感覚が求められる

総合商社のデータサイエンティストに必要なのは、アルゴリズムや機械学習の技術だけではありません。各社の発信を見ていると、求められているのは、事業を理解し、関係者を巻き込み、現場の課題を構造化し、データを使って改善を回し続ける力です。ここでは、ひとつのアプリやサービスの利用率を上げるためのプロダクト感覚よりも、業界構造、サプライチェーン、価格形成、投資判断、顧客価値、オペレーションの仕組みを理解する事業感覚のほうが重要になります。商社のデータサイエンティストは、プロダクトチームのメンバーというより、事業責任者や現場と並んで変革を推進する伴走者に近い存在です。

 

総合商社のデータサイエンティストは「事業を変える人」として見るほうが自然である

こうして見ると、総合商社のデータサイエンティストを「プロダクト職」と呼ぶより、「事業変革職」と呼ぶほうがはるかに実態に近いことが分かります。彼らの仕事は、特定のデジタルプロダクトを改善することに閉じていません。むしろ、各事業に入り込み、データと AI を使って意思決定を変え、業務を変え、収益構造を変え、時には新しい事業そのものを構想することにあります。商社という業態そのものが、複数事業を束ねながら価値を組み替えていく存在である以上、そこにいるデータサイエンティストもまた、単なる分析者ではなく、事業変革を担う人材として捉えるのがもっとも自然です。