2章 – 本書のポイント4(政策立案者に助言する経済学者)
政策立案者に助言する経済学者は、同じ問題を見ていても、しばしば結論の異なる提案をすることがある。これは、経済学が「誰もが同じ答えに到達する計算問題」ではなく、現実の複雑さの中で不確実性と価値判断を伴う学問だからである。さらに、仮に経済学者の助言が一致していたとしても、政治の現場では別の力学が働くため、政策立案者がその助言を採用しないことも起こりうるのである。
1. 経済学者の助言が食い違う理由
経済学者の助言が相反する主な理由は、大きく分けて「科学的判断の違い」と「価値観の違い」の二つである。
(1) 科学的判断の違い(事実認識・見通しの違い)
経済学者は科学者として、理論やデータから「この政策をすると何が起きるか」を推定する。しかし現実には、因果関係の特定が難しかったり、効果が状況によって変わったりするため、同じ政策でも評価が分かれやすい。
たとえば景気対策としての財政支出を考えると、
「政府支出は需要を押し上げ、雇用を増やす効果が大きい」と見る経済学者もいれば、
「将来の増税懸念や金利上昇で効果が弱まる」「無駄な事業になりやすい」と見る経済学者もいる。
どちらも「データや理論に基づいている」と主張しうるが、用いるモデル、重視するデータ、想定する前提条件が違えば結論は変わるのである。
(2) 価値観の違い(何を優先するかの違い)
政策は「効果」だけで決められない。効率性、公平性、自由、弱者保護、地域のバランス、将来世代への負担など、複数の価値が絡むからである。経済学者の価値観が異なれば、同じ事実認識からでも助言は変わる。
たとえば、ある政策が
景気を良くするが格差を広げる
という性質を持つ場合、
成長を優先する立場は「実行すべきだ」と言いやすい一方で、
格差是正を優先する立場は「別の手段を選ぶべきだ」と言いやすい。
この食い違いは「どちらが科学的に正しいか」というより、「何を望ましい社会と考えるか」という規範的判断の差から生じるのである。
2. 経済学者の助言が一致する場合もある
一方で、経済学者の間で比較的意見がそろいやすい分野も存在する。これは、理論的に筋が通っており、経験的な裏づけも比較的安定している論点である場合が多い。
たとえば、
- 価格が上がれば需要は減りやすい
- 競争が働きにくい独占市場では効率が損なわれやすい
- 外部性(公害など)があると市場だけでは望ましい結果になりにくい
といった基本的な考え方は、多くの経済学者に共有されやすい。
ただし「一致している」といっても、それは多くの場合「方向性」や「原理」の一致であり、具体的な設計(税率を何%にするか、どの層にどう配るか、いつ実施するか)になると再び意見が分かれやすい点には注意が必要である。
3. 助言が一致しても政策が採用されない理由
仮に経済学者の助言が広く一致していたとしても、政策立案者がその通りに動くとは限らない。政治プロセスには、経済学的な「望ましさ」とは別の制約や圧力が存在するからである。
(1) 利害対立とロビー活動
政策には必ず得をする人と損をする人が生まれる。損をする側が強い影響力を持っていたり、組織的に反対したりすると、合理的だとされる政策でも通らないことがある。特定業界の規制改革や補助金削減が進みにくいのは、この典型である。
(2) 有権者の理解と支持
政策が経済学的に正しくても、有権者にとって分かりにくかったり、短期的に痛みが目立ったりすると支持が得られない。政治家は選挙で選ばれるため、支持を失う政策には慎重になりやすい。
(3) 短期と長期のズレ
経済学者は長期的な厚生(社会全体の利益)を重視して提案することが多い。しかし政治は選挙周期に左右され、短期の成果が求められやすい。長期的には良いが短期的に不人気な改革は、先送りされやすいのである。
(4) 予算・法律・行政能力などの制約
政策は「やるべきだ」と言うだけでは実現しない。財源が必要であり、法律改正が必要であり、実施する行政能力も必要である。理論上望ましい政策でも、制度上・実務上の制約で実行できない場合がある。
(5) 他の目標とのトレードオフ
政策立案者は、経済以外の目標も同時に追う。安全保障、外交、社会的安定、文化的価値など、複数の目的の調整が必要になる。経済学的助言は重要な材料であっても、最終判断の唯一の基準にはならないのである。